ならば、人間は願望を持つことを最初から備えられた生き物で、願望実現に動こうとすることは自然のなりゆきなのだ。ということはだ、創造主は実現しないようなことを最初から人間に備え付けたであろうか?ということだ。元々、願望(欲望)というソフトをインストールしておいて実現させないというのは、どう考えても片手落ちであろう。そう考えるのが自然だ。創造主が遊びで付けたおまけ的な機能なら、そういうこともあるだろうが、ここで一言いっておくと、「創造主に遊びはない!」ということだ。すべてが計算された機能で、あらゆる機能が相互に影響し、うまく人間に自分の人生ロードを歩かせる。ま、この話も長くなるから後日ブログ「人間の原始機能」で説明するが、「原始機能には問題と答えが必ずセットで存在する」という概念だ。この世の現象すべてについて、答えがない問題は存在しないという理屈が正しいが、まあそれに近い概念だ。そして、答えが見つからないのは探す方法が間違ってるとか、簡単には見つからない難しい問題だからだとか言われてる。それとアニキの話は微妙に違う。アニキのそれは、人間の原始機能に限定される話で、その場合、問題と答えは最初から揃っているという概念だ。ただ、答えの存在はあるのだが、具体的にそれを探すのは困難だということだ。世の中の現象との微妙な違いの説明はここでは特に重要ではないから省く。
何が言いたいかというと、創造主が願望を人間に与えたと同時に、その答えも与えていると考えるべきだ。だから、実現するための方法は必ず存在するのであり、多くの科学者は真剣にそれを探している。彼らは人生をかけて脳の研究をしたり、潜在意識や神頼みを科学的に証明しようとしてるのだ。現に「祈り」の力は、科学では証明されないが、実験データでは証明されてきつつある。今の科学者はすごいんだよ、目に見えないものを科学的に証明しようとしているから。でも、科学者の証明なんて実はどうでもよい。だって、証明されるのはいつになるかわからないし、たぶんアニキ達が生きてるうちには証明されないだろう。となると、あきらめるのか?ということだが、ここにもアニキ哲学の基本が存在する。そう、「自分が腑に落ちるかどうかが重要だ」ということ。ここがポイントだ。ただ、自分が納得すればよいのだ。
つまり、願望は叶うために存在しているにもかかわらず、今まで願望が実現したって話をあまり聞かないのは、その方法は間違っていると言わざるを得ない。苦労しないと願望は実現しないっていうのも、過去のまやかしかもしれないのだ。昔の有名番組「プロジェクトX」だって、アメリカの大学では失敗例として学生に教えていると聞く。なぜ、この人はこんなに苦労しなければ成功しなかったのか?なぜ、こんなに時間がかかったのか?を学生に考えさせるということだ。