過去ブログ「プレッシャーだけが人を育てる」でも話したが、プレッシャーが人の何を育てるのかと言えば、そのひとつに「要領の良さ」がある。要領の良さは本来、プレッシャーの中で磨かれるもだから、精神的にも未熟な中学卒業レベルでは要領の良さなど全く訓練できてない。暴走族グループなどの強烈な上下関係組織などに所属していたのなら話は別だが、そんな例外はここでは話題にはしない。一般的な話でいえば、学校のような「与えられる場所」においては、要領の良さなど磨けない。日本の学校は海外の学校と違って与えられる場所だと、過去ブログでも書いたことがある。そんな場所ではプレッシャーなどほとんど存在しない。
学生がプレッシャーと呼んでいるような状況は、ほとんどプレッシャーではない。ただの山である。まあ、壁と言ってもよいだろう。目の前の壁だ。壁とプレッシャーとは全く別物だ。壁もプレッシャーも自分の目の前立ちはだかる大きな困難で、ここは同じだ。その乗り越え方が最初からわかっていて、それをがんばれば乗り越えられるものが「壁」だ。そして、困難にぶち当たったときに乗り越え方がわからないのが、プレッシャーだ。プレッシャーに直面した時は、解決方法が見つからず八方ふさがりで、自分が押しつぶされそうになる状態だ。プレッシャーに直面したときには、なんとか脱出するために何とか知恵を絞ったり、行動したりして、解決策を見いだす必要がある。壁のように解決策がわかっていて、それをがんばれば乗り越えられる状態とは全く違う。壁は出口があるのだから八方ふさがり状態ではない。この話も長くなるから、別の機会に話すが、ここで言いたいことは、中学生までの間にはプレッシャーなどは存在しないということだ。それは、先生という導く存在がいるのが大きい。家庭の問題とか個人的にはいろいろあるだろうが、多くの一般ピープルはそんな感じであろう。
それだけじゃない、要領の良さを身につけるには、ある程度の成熟した年齢ということも重要なファクターだ。要領の良さを身につけるために必要な二つ目の力は「ずるさ」だ。若すぎる年齢では「ずるさ」が不足しているのだ。人間は元々怠ける生き物だ。人間の原始機能は「怠けること」であり、「勤勉さ」ではない。人間はちょっと油断すると怠けるようにできている。人は成長するに従い、ずるくなる。知恵がつくに従いちょっとしたことで、怠けることを意識する。日本語には「面倒くさい」という言葉がある。子供の頃は、怠けることを意識しない。学校の先生の言うことは聞かなければならないと教え込まれるから、最初はそれを疑わない。しかし、年齢が上がると次第にずるくなるのと同時に、面倒くさがりにもなる。これは、精神的に成長していることを意味する。人間は元々は怠け者だから、楽するために「要領の良さ」を身につけてゆく。社会に出れば、否応なしにずるさや要領の良さを学ばなければならない。
サラリーマン社会は、バカ正直では決して生き残れないからだ。