子育ての出来不出来は子供の進学状況で決まる。それが世の中の現実なのだが、これは一体なにを意味するのか?子育て成功者になる目的とは一体なんなのか?端的に言えば、それは、「子どもは親の装飾品である」ということである。親本人達はそんなことはないと否定するだろうが、「人は言葉で判断するな、行動で判断しろ」というアニキ哲学で見れば答えは明かだ。子供とは親の装飾品であって、それに違いはない。
まず、ブランド品が好きな親は、必ず子どももブランド化しなければ気が済まない。有名なブランド品が好きで見栄っ張りな親ならば、子どもには偏差値の高い学校へ行ってもらいたいと思っている。自分の親がそのタイプかどうかは、ブランド指向かどうかを一度見てみたらよい。家は小さなアパートでも、乗っている車は高価な外車だとかいう家は間違いなく、子供のブランド化に余念がない。そして、高学歴な親もまた、子供をブランド化したがる。学歴とは、以前のブログでも話したが、就職するためのただの値札だ。就職すればすぐにはずさなければならない。いつまでも値札が付いたままのスーツを着た人がいないのと同じだ。しかし、中には自分の学歴という値札を大事にしまって持っている人がいるのだ。この類いの人は、値札を人前でわざと落としてみせたり、自分から見せびらかすこともするタイプだ。そういう人にとっては、まさに子供も自分の価値を上げる値札になる。自分の子供はエルメスやロレックスと同じで、親自身を飾る自慢の一品だ。自慢の種として、親の価値を思いっきり高めるために、子供に高学歴を求めることになる。で、子供が偏差値の高い学校などに入ると、「親は何もしていない、子供が自主的に勉強した」などどのたまうことにより、自分の価値をさらに高めようとする。
これが子供のブランド化現象だ。子供が苦労しないようにと、中学校から私立に入れるような親もそうだ。これは別に子供のためではない。親自身のためなのだ。便宜上、子供のためという大義名分を使うことができるから、それを使って子供を説得するにすぎない。確かに、高学歴があれば道を誤っても修正が効くというメリットがあるのも事実だ。このことについては後述するとして、大義名分を生かしてせっせと子供のブランド化に励む親がいる。
アニキは思う。子供は好き好んで私立学校に行きたいとは思わない。子供が私立に行きたがるように、親がそう仕向けるだけなのだ。例えば、私立入学の目的を持つ塾に入れると、自然とそういう雰囲気になってしまうから、子供が自分から「私立に行きたい」と洗脳されてしまうだけだ。これも親の子供ブランド化作戦のひとつである。
「洗脳はよくない」なんてテレビニュースを見て非難しているくせに、ちゃっかり自分の子供を洗脳しているのだ。学歴社会である現代においては、進学は親が騎馬となった騎馬戦である。上に乗った子供には、どこに行きたいかの自由はない。洗脳されて示されたゴールが遠くに見える。騎馬がそのゴールへと導く。子供はただ騎馬に乗って疑わず、親と一緒にひたすらゴールを目指す。子供のブランド化とは、洗脳までも施された戦術から成り立っていることに早く気づくべきなのだ。