自分の土俵というテーマでは、サラリーマンにおける重要な闘いがある。それはすなわち「交渉」である。自分は対外的な部門じゃないから、交渉なんか関係ないと言う奴がいたら、そいつは何もわかってない。人間関係において、そこに利害が絡む場合は利害の決着のための話合い、それが交渉だと一般的に理解されているはずだが、現実はそうじゃない。社会におけるすべての活動は交渉であり、世の中には交渉しか存在しないのだ。サラリーマンだけじゃない、親子だって夫婦だって常に交渉の中に身を置いている。奥さんへのお小遣い値上げのお願いや子どものおねだりも親への交渉の方法の一種だろ、違うか?人と人とが何かを行う時、知らず知らずのうちに交渉になっている。
まあ、個人間における交渉の話はここでは長くなるから置いておいて、ここではサラリーマンにおける交渉の話だ。サラリーマンの交渉というシチュエーションでは、相手から有利な条件を引き出したり、値切ったり、注文をもらったりしなければならない。そして、そんな交渉で勝つためには、常に相手を自分の土俵引きずりこまなくてはならない。ここにも土俵という概念が重要となってくる。というか、この土俵の概念がアニキ哲学における「自分の土俵」という考え方に最も近い。それはどういうことか?
大体、交渉に負ける奴はみんな、相手の土俵で戦っている。知らず知らずに相手の土俵に入ってしまっている。だから負けるのだ。交渉に負ける理由はそこにある。勝つ奴はいつも、自分の土俵に相手を引きずり込んでいる。だから、相手の土俵に引きずられないようにしなければならないが、いつの間にか相手の土俵にいる。なぜか?
要するに、交渉という話合いの中で不利なのは、エネルギーを吸い取られてしまっているからだ。アニキ哲学での交渉とは、「相手の弱みを突くこと」である。これが交渉の定義であり、他には何もない。だから、相手の弱みを突くことを徹底的に考える。相手は間違いなくそうしてくる。相手はこちらの弱みを巧みに突いて有利なポジションを取ることを狙ってくる。そして得た有利なポジション、これが交渉におけるマウントポジションだ。マウントポジションは重要な概念だから、それについては後日ブログで詳しく話すことにする。要は、相手に弱みを突かれて、「それは困った」とこちらが思った瞬間に、自分のエネルギーは一気に相手に持っていかれ、その時はすでに相手の土俵の中にいることになる。そうなるともう、相手の思うツボである。要するに、どっちの土俵で勝負しているかは、自分の気がどっちにあるか?なのだ。「気」がこちら側にあれば自分の土俵、「気」を持って行かれたら相手の土俵で闘っているということだ。
つまりは、何気ない言い合いの中では常に「気」の奪い合いをしているわけで、どっちに「気」が行っているのかを常に気にしなければならない。「気」というエネルギーのやりとりが交渉の勝敗のカギを握っていることに気づくべきなのだ。