だから、ここでよく考えなければならないのは、面接要項に書かれてある「ラフな格好でもいい」という点と、友人の「何でもいいんだよ」という言葉だ。本質を見抜くということは、まず第1に目的を考えることだが、もう一つ重要なことは、「前提を疑う」ということだ。書いてある事や友達の言葉は鵜呑みにせず、まず疑ってかかれということだ。面接を受けるのは自分である。面接要項を書いた人じゃない。ましてや、友人でもない。まず、面接要項を作った人の意図を考える。試験を行う側は、面接でかしこまらずに普段のありのままを出してもらおうという意図で、こう書いたのだ。それをそのまま受け取って、ラフな格好で行く奴は本質がわかってない。よく考えなければならないのは、「ラフな恰好で来い」とは書いてことだ。それと友人の「何でもいいんだよ」の一言。これは、「所詮人ごとで自分事ではない」という発想だ。本質のかけらもない。その友人はいい奴かもしれないが、あまりにアホだ。友達つきあいはそのままにしても、本質がわかってないから重要なことは相談してはいかん。アニキがいつも言う「言葉は耳で聞くな、物事は目で見るな」だ。
そして、評価は第一印象だ。この世の真理だ。ナンパだって、まず顔だろう、違うか?人は顔から入る。人はまず顔、そて形だ。形とは身なり、中身はその次だ。これは、騙そうと思って近づく奴の話じゃない。人間と人間のプラスの関わりの話だ。これが初対面の本質だろう。第一印象が重要だ。特に面接などのピンポイントの関係では、中身を知るというレベルではなく、第一印象しかないというレベルだ。そのピンポイントに意識を集中するのは当たり前。当たり前論の基本である。当たり前論の話は長くなるから、後日ブログ「厳しさと当たり前」で詳しく話そう。
アニキは何が言いたいのかというと、先の例を取ると「ラフな恰好でもいいよ」この前提は疑わなければならいない。罠ではないのか?と。現時点の問題はこの前提を鵜呑みにしてしまうその性格になる。前提を鵜呑みにする正確を変えるべきなのだ。前提はすべて自分の固定観念によって決まるから、前提を与えられると、それをそのまま文字通り軸として考えてしまう。そういう自分の性質にメスを入れてやる。前提が目的を網羅しているのか、前提が腑に落ちるのかをじっくりと見る。ほとんどの前提はオブラートに包まれているのが世の中だ。前提の奥に潜むその本質を見つけることが大事だ。前提を目的に照らし合わせて、自分で解釈しなければ世の中をうまく渡っていけない。本質を見極めるとは、そういうことだ。
この前提を疑うということは、自分事だけの話でない。自分に影響を及ぼす家族や友人においても、重要な概念だ。他人は、自分に意見を押しつけてくるからだ。自分が正しいということに疑いを持たないから、前提を信じる人間であれば、それを否応なしに押しつけてくる。前提を疑わないという固定観念ができあがっているのだ。他人に影響のない範囲で固定観念で判断しているのならほっとけばいいが、誰かにそれを押しつけてくるというのは問題だ。特に、その相手の矛先が自分であったなら、立ち向かわなければならない。自分に向かってくるなら、正してやるのが友というもの。友達として、今後の人生がよくなるように、よい方向に仕向けてやる。その場合、何をするのか?友達ってのは、実に温かいんだよな。
難しい話になったが、簡単に言えば表面的な話に騙されるなということだ。