中学生以上の若者全員に聞いてほしい話をする。身につけたら、一生持って行ける話だ。最初に結論を言う。物事の見えている部分じゃなく、見えてない部分で判断してゆくのが人生をうまくいかせるコツだ。それが物事の本質ということであり、若いうちから鍛えてゆかないと、大人になっても物事の表面しか見えない人間になってしまう。それがどれだけ恐ろしいことかという話だ。大体、社会人を何十年もやってるのに、全くうまくいってない人をよく見かけるが、すべてはこの能力の欠如だ。それほど重要な概念である。物事の表面しか見ていないと、それが当たり前となり、固定観念化してしまう。これが最も恐ろしい現象で、固定観念は自分では破ることは不可能に近い。自己啓発セミナーなんかで、固定観念の殻を破るというミッションがあり、プロの講師が破ろうと試みても、それでもなかなか破ることは難しい。そうならないためにも、物事の本質を見る力を養ってほしい。では、はじめようか。
最近の若者はおしゃれだよな、服装もスタイルも装飾品も、アニキが若かった時代よりも数段おしゃれだ。それはそれでいい。おしゃれもカッコつけるのもTPOだからな。
例えば、面接などでラフな格好して行く奴がいるが、首をかしげてしまう。個性をアピールしたいのだろうが、全くわかっていない。本質がわかってないのだ。面接の目的はなんだ?受かることだろう。飛び抜けてすごい奴なら何をしてもいいかもしれないが、大概はドングリだ。それと、面接官は人間だ。感情もあり、好き嫌いもある。私情を挟むことは不公平になるから、面接官はそんな不公平なことをしないと思っている。ところが、それをするのだ。世の中に出たらわかる、すべて好き嫌いで決まるということが。
昔、免停になったアニキが講習を受けに行った時の話だ。講習の教官は、元一発試験の試験官だったことがあり、こう話していた。「その時、チャラチャラした奴は全員落としてやった」と言っていた。どんなに優れた運転技術を持っていても、落としたという。そんな奴に免許渡しても、すぐに事故を起こすからという理屈らしいが、落とされた理由など何とでも言える。本当の理由である身なりや態度のことを一切言わなかったということだ。つまりその教官は、「自分で気付け」ということが一番言いたかったのだ。そして、10回ぐらい落とされると気付くらしい。最後にはきちんとした身なりで受けに来るというから、そのときにはすぐに合格としたという。
運転免許とは、運転技術に与えられたものではなく、それを操る人間に与えられるものだ。事故を起こさないような人間、若しくは交通ルールを確実に守る人間に与えられるものだ。だから、第1印象が大事であり、身なりや言葉遣いなどの態度でそこを見るのである。物事の本質を見るとは、そういうことなのだ。目的をじっくり考えれば、本質が見えてくるから、なにをすればよいかがわかってくるのだ。とんがりたいのはわかるが、君が敵対しているのは世の中だということをわらないといけない。