そしてアニキは言う、この世で最も過酷な修行は人間関係の中で生きることだ。一人で何年も山にこもることじゃない。自らを人間関係という逆境に追い込むその姿こそが、修行なのだ。人間関係にもいろいろある。分類すると、知ってる人との人間関係と知らない人だ。知ってる人との関係とは、家族、親兄弟、親戚、友人、など。知らない人とは他人だ。知ってる人との関係はまあ、仕方ない。なんとかしないといけないし、うまくやらないといけない。これも修行だが、克服しても世界観が変わるほどのものではない。その中において、他人との関係を修行とする人達がいる。他人なんだからほっとけばよいのだが、そこに無理矢理関係作りを迫る狂気な修行がある。狂気と言ったら失礼なので、荒行と呼ぼう。
そう、諸君も一度は見たことあるだろう。訪問販売など個人宅を訪問する飛び込み営業マン達だ。彼らこそが、現代の真の行者だ。昔の托鉢なんてもんじゃない。いきなり個人宅をアポなしで飛び込み訪問するものだから、相手もたまったもんじゃない。不審者というレッテルをはられ、インターホンで断られ、相手の姿を拝むことすらままならない現代の行者だ。無理強いすれば即警察行きだ。これほどの修行が果たしてこの世にあるだろうか。飛び込み営業かけてくる商品は、そうしなければ売れない物だ。普通じゃ売れない物を売る過酷な修行なのだ。熟練の営業マンはトークも一流だから、話を聞いたら終わりだという印象を持たれるから、いきなり断るのが最善策であるというのが世の習わしだ。そんなことは百も承知で、おかまいなしにロボットのように次から次とローラー作戦を行う。
アニキはそんな荒行の男達に興味があったので、我が家にやって来た時、根掘り葉掘り話を聞いたことがある。本人達は修行だと思ってないので、長年やる人はあまりいないらしく、毎日心が折れるという。成果を持って事務所に帰らなければ、格闘技経験者の上司にどつかれるという話だ。まさに生き地獄。「なぜ、そうまでしてこの仕事をするのか?」と尋ねたら、成功報酬はいいらしい。しかし、それを拝める者はほとんど皆無であるとのこと。ならば、やはり荒行以外のなにものでもない。
アニキは思う。この荒行を達成したのなら、どんな高貴な人間になれるのであろうか。世の煩悩も超越し、仏様の心境か。いずれにせよ、荒行を成就させた人の話を聞いてみたいものだ。しかし、それは望めないだろう。なぜなら、荒行を達成した者達は、莫大な成功報酬が入るからだ。人間はお金で心も曇るようにできている。成功報酬がない状態が一番の修行なのだが。だから、この荒行を達成しても、悟りを開いた人はいないのだろう。
アニキは何が言いたいのかというと、ここまでの荒行はいらないが、人間関係を避けることはダメだということだ。常にいろんな関係の人達の中で、それを克服してゆくことが現代の修行だ。一人でいることは、ただの休息である。まずは知ってる人の人間関係の中でうまくやってゆく。これが我々人間に与えられた修行であり、どの方面の人間関係もうまく築けた時、何らかの成長があるのだ。
人間の創造主は、一部の特別な人しか成長できないようなしくみには作ってないはずだ。それを考えれば、だれでもどこでもできることが修行のはずなのだ。それは、一番ストレスが溜まることだと考えれば、答えは出てくる。だから、修行とは決して山にこもったり、火の上を歩いたりすることではない。それはただの趣味なのだ。