話を元に戻そう。前回までの内容を思い出してほしい。日本人の行動はすべて「道の精神」を発端としている。そして、相手の立場になり、自分で一番最良の方法を考え、行動することを身につけているのだ。日本人はその人生の最初から、他人を思いやる心を身につけている優秀な国民だ。だから、それをもっと海外へ広めてほしい。日本人の若者は自信を持って海外へ出て行ってほしいのだ。単なる海外旅行でいい。興味のわいた国へ行くだけでよい。日本人ほど海外で歓迎される民族はいない。日本人のパスポートほど海外に自由に行ける民族はいない。ひ弱な国民ゆえに、敵対する国はほとんどない。そして、先人達のおかげで多くの国が親日を掲げている。
話はそれるが、ここからが真骨頂だから、よく聞いてくれ。ちょうどアニキが中国にいる時に、東日本大震災が起こった。そのとき、世界から絶賛される日本人を見て涙ができてきたぞ。「すごいな、日本人!」って感じで身震いした。日本人は、実はとてつもなく心が強いんだよ。「弱きを助け、強きには立ち向かわない」が日本人だ。世界ではひ弱な日本人かもしれない。平和ぼけかもしれない。でも、それでいいじゃないか。ひ弱な奴の方が争いを生まない。人を傷つけないですむ。親しみもあるし、話しもしやすい。人間、ひ弱に映る方が争わないで済むケースが多いのだ。これからの世の中は、戦わずして逃げるのだ。ひ弱なことで、全く卑屈になる必要はない。だからアニキは、ひ弱な日本人の話題が出ても、いつも平然としている。だって、ひ弱さが誇りだからだ。その方がいいのだ。だから、けんか売ってきた相手に対しては、ひ弱だから積極的に逃げる。「俺はひ弱だから、逃げることを信条としている」と豪語してればよい。最初から逃げると決めて、その信条に従っているだけだから、相手をみて逃げる訳じゃない。「誰に対しても逃げる」と決めてれば、そこに心の余裕さえ生まれるし、危険も未然に防げるからいいことだらけだ。
そして、その逃げると決めている理由についてはこう言え。自分が助かるだけじゃなく、相手も加害者にならないで済むのだと。相手を犯罪者になることから救ってやったのだと。相手をも思いやる、そんな心の強さが自慢になる!
人類はもうそろそろ気づいてもいい頃だが、強いことが重要だという思想は、国境を広げることが国家の事業であった過去の話だ。国境が決まっている現代では、今から国境を広げようなんて考えは、確実に世界各国から打ち砕かれる。そんな考えは幻想にすぎないのだ。強いことは戦いを生むだけだということもそろそろ人間は学ぶべきだろう。20世紀までの戦争の歴史がすべてを語っている。強さを誇ったアメリカが、今、うまくいかなくなって苦しんでるだろ。世の中を治める術は、もう強さではない。そもそも強者重視の考えは人間には全く必要なかったのだ。というのも、天敵のいない万物の霊長である人類には、元々弱肉強食は当てはまらないのだから。
これからの時代は、相手のことを思いやる心が大事なのだ。だから、力が弱いことやひ弱なことは罪じゃなく武器だ。北斗の拳のシーンで、盗賊にやられた弱い市民に向かって盗賊はこう言う。「俺を恨むんじゃねぇ。恨むなら、テメーが弱ぇーことを恨め。」と。こういう話が心の中にすり込まれるから、強くなりたいと望むんだ。
だから、力が強いことは、現代では全く意味がない。争いを生むだけだ。強くなければならないのは、「弱くてもいい」ということを思い続ける心の強さだ。つまり、弱いということは武器であり、かっこ悪いという話ではない。弱いことで卑屈になるから、かっこ悪いのであって、弱いことを認めてそれが武器だと誇っていれば、それはかっこいいのだ。
要は心の持ちようであり、アニキ哲学の根底である考え方である。弱いということに語弊があるなら、こう思え! かっこよさとは心の強さであり、真の強さとは、「自分より弱い者を助ける心の強さ」「相手を思いやる心の強さ」だ。日本人はひ弱な分、この心の強さがすでに備わっている。なっ、すばらしいだろう。日本人に生まれてよかっただろ。心の強さについては、後日紹介するアニキ哲学「かっこよさの定義」でまた話そう。
熱くなり、話がそれすぎてしまったので、今日はここまで。