今日はアニキ哲学において重要な概念である「能力」について話そう。
諸君は、普段なにげなく「能力、能力」と口にするが、実はこの使い方は間違いだ。皆が使う意味での「能力」とは、大概「技能」のことだ。「技能」とは、単なる技術力だ。そして「能力とは技能を使って結果を出す力」をいう。これが定義だ。で、この違いがわかるか?アニキは「技能」と「能力」という言葉に分けて、適切に使う必要があると考えてる。これを混同させて使ってはいけないのだ。
一般的に人は、「能力を上げたい」と言って勉強したり学習したりする。実は自分の努力だけで向上させることができるものは、「技能」であって「能力」ではない。先にも述べたが、「能力とは技能を使って結果を出す力」だ。結果を出す力であるからには、実践で役に立ち、且つ結果を出すことが能力の条件である。結果が出ていないその力は能力ではなく、単なる技能にすぎない。わかるかな。だから、この社会の中で、目に見える能力のように語られている力はすべて技能である。能力とは当然目に見えない力であり、そのため客観的基準では測定できない。結果で評価するしかないのだ。
どっちに価値があるかは、一目瞭然だな。人生で必要な力は、結果を出す力であって、技能に代表される見せびらかす力ではない。だから能力の方が上だ。「あいつはスゴイ」というのを普段使うだろうが、これは能力の高さの話であって、技能の高さの話ではない。言わば、個人のスペックの高さではないのだ。ここに、日本の社会の問題が隠されている。
日本の社会は、スペックの高さが能力の高さと思われている。ここで言うスペックとは、資格や学歴など「公で自慢できる力=技能」だ。しかし、プロがしのぎを削るこの社会では、スペックの高さはあまり意味をなさない。一流大学を出た人や大学院を出た人すべてが、会社で実績を残しているかどうかを考えれば明らかだ。技能という個人スペックは、自分を社会に売り出すためだけに存在するただの値札だ。学生時代の「お勉強ができる」という技能は、社会に出るまでの値札。それ以降は全くいらないし、それを引きずってもいけない。学歴という値札は、社会に出た瞬間に捨てるべきなのだ。それは百害あって一利なしだ。そして、会社に入ってしまえば、学生時代に身につけたその技能を能力に高めることを考えなければならない。それをしないで、学歴にしがみついてると、「スペックの高い奴は会社で使えない」と言われる。これは、アニキのブログ記事でも紹介した「サラリーマンの謎『評価』」を思い出してくれ。そう、「評価とは期待値との差」だ。高学歴の高技能者は会社で期待されるわけだが、プロの世界ではそのまま通用しない。期待した割に結果が出ない分、評価は下がるのだ。これがマイナスギャップであり、「なんだ、期待した割にダメだな」ということになる。これを覆すためには、プライドを捨てる覚悟が要る。