まず、男は女の派生種である。ホモサピエンスの時だ。原始時代の更に昔の話だ。女が子どもを生むことになった時、男はその女と生まれた子どもを守るという存在が必要であった。周りは猛獣だらけだし、動けない身重の女と子どものエサを与える下僕が必要だった。その為に創造主は、女の異種として男を誕生させた。染色体を少しいじることで、ボディガードのような屈強な異種ができる。しかし、そんな屈強な男という異種を野放しにしておくのは、あまりに厄介だ。
大概の動物は群れると順位を付けたがる。これは本能で、群れは統制されていなければ群れの価値はない。ただの烏合の衆だ。天敵に対抗できないから、その種が生き抜くために群れで戦うことを本能として持っている。人間の男は、屈強なカラダと野蛮な性格だけでは猛獣と同じだ。さらに、大きな考える脳をも持つ無敵の猛獣だ。そんな危なっかしい動物を野放しにしておけば、女や子どもを守るという目的すらどうなるかわからない。そこでだ、男が身勝手に暴走しないように、女や子どもを守るという使命の他にもう一つの機能が与えられた。それは、「常に女を求めること」だった。「男は女を求める」これは男の原始機能のひとつだ。この機能がなければ、人類の歴史は原始時代で終わってしまっただろう。
つまり、女に興味がなければ、守り切ることはできない。なぜなら、注意に不足が生じるからである。常に好きな女を意識するからこそ、そこに抜け目がなく、完璧に守り切ることができるのだ。一瞬の隙を突いてくる猛獣に対して守り抜くにはそれしかない。この「女を求める」原始機能こそが男にとって最も重要な機能であったのだ。
ここではき違えちゃいけないのは、性欲の対象としてだけはないことだ。性欲の対象だけではそれは本能であり、他の動物と変わらない。人間の原紙機能としての「女を求める行動」は、癒やしや母性などの特別な感情だ。
女好きであることは、男としての最重要要素であり、当然その好きな女を独り占めしたいという欲求にかられる。これは当たり前だ。人間はシャケじゃない。手当たり次第に精子をかける生き物とは違うのだ。自分の意中の女に、不特定多数の男と自分が等しく扱われるのは嫌なのだ。好きな女にとって、自分は特別な存在でなければ気が済まない。だから、男は好きな女の気を引く必要があり、その女が何を求めるのかが気になるは当然のことなのだ。そのことが、若い男の日常の優先事項の一番に来るのは当たり前の話なのだ。