女性がコツコツと仕事をこなす従順な姿勢は、自分の母親の姿を小さい頃から見てきたが故の賜物だ。一連の家事を毎日すべて一人でこなし、子どもの弁当を作って送り出す。共稼ぎならさらに大変だ。自分の身支度をしてから仕事に向かう。仕事か帰ってきてからは夕食の準備、そして片付けだ。それを365日黙々とこなす母親を見てきている。毎日やっていることを並べ立てるだけで、「すげーよな、女って」って思うだろ。そう、すごいんだよ、君らの母親や奥さんは。君たちは自分ひとりで大きくなったんじゃないってことを忘れたらいかん。だから、「ガキみたいにいつまでも母親に楯突いてんじゃねー」と言いたい。年甲斐もなく熱くなってしまった、許してくれ。
話は逸れるが、アニキ哲学のガキへの教えの一つに、「足りないことに文句を言うな、やってもらったことを数えて、満足しろ!」というのがある。世の中、欲しいものだらけだ。その欲しいものを全部挙げたら切りがない。そのひとつを「叶えてもらえなかった」と言って、文句を言うのは筋違いだろ。今まで他にいっぱいしてもらったことがあるんじゃないのか?「そいつを思い出して数えてみろ」と言うことだ。ひとつもないなんてことはない。そうだ、親に頼んで断られたら、「やってもらったことに感謝して乗り切れよ」ってことだ。感謝が足りないと、これからの運勢がだんだんと悪くなる。これは覚えておいた方がいい人生テクニックである。
おっと、話を戻そう。文句一つ言わないで家事をこなす母親の姿は、娘にとっては同じ女性としての自分の中に着実に重ねられていく。その反面、親父は家でだらだらし、威張っている。親父は帰宅するなり、「風呂」と言えば風呂が沸いている。「メシ」と言って食卓に着けば、自動的に食べ物が出てくる。食べ終われば、テレビを見たり新聞読んだりと、好きなことをして、眠くなったら「寝る」と言って床につく。その間、母親は落ち着いて座るヒマもなく家事に追われるが、文句一つ言わずにくるくると動き回っている。そんな理不尽な家庭環境を娘は常に見ているわけだ。自分も将来は同じになるのかと考えるとやっていられないのかもしれない。茶の間にアザラシのごとくデンと横たわり、尻をかきながらお笑い番組を見て大笑いしている親父の姿が恨めしい。そんな現状に反発する気持ちがもち上がり、そんな家庭で育った娘はいつの間にか男を凌駕してやろうと考えることになる。アザラシを飼っている母親のような人生ではなく、社会で評価される道を目指すという動機づけにもなっている。
アザラシの如く基本的に怠惰な生き物である「男」は、スイッチが入らないと動かない。スイッチなんか、生まれた瞬間に入ったままで、入れっぱなしで人生を過ごす「女」という生き物には理解できない。女は男に対し、「常にスイッチ入れとけよ」と思うのだが、それを聞いてわかったという男はこの世に存在しない。
男は仕事や趣味意外ではスイッチが入らないようにできているからだ。