昭和の頃の母親の話に戻そう。昔は母親の家事をこなす姿が美しかった。それは、自分が幼少の時代に見た母親の姿だ。家ではぐうたらなオヤジを立てて、自分は家の中と子どものことに一生懸命な姿だ。母親自身もそれに全く疑問を感じておらず、家事と子どもの世話に自信とプライドを持っていた。戦争を経験している世代はなおさらその意識は濃い。悲惨な日本の状態を目の当たりにしているため、贅沢なんか考えたことはない。食べることや子どもを育てることで必死だった時代だ。子ども達が活躍する時代に子どもが不自由しないように、母親はしっかりと子どもを育てようとした。親父も家庭守ることと、将来の家族のためにしっかりと外で働いた。その時代は親父一人の給料で一家を支えることができた。アニキを含め昭和後半期に子ども時代を経験している世代は、それが当たり前に映っていた。
しかし、この平成の現代、状況は変化している。元々自分の母親が家事に専念していた光景を見ていたから、娘は自分もそのようになるのだと潜在意識にすり込まれてきた。だから一応、大学は出たものの、その後結婚して家庭に入ってしまうと、社会の第一線から遠退いてしまう。ところが今は、親父一人の給料ではやっていけない時代となり、奥さんも共稼ぎとして家計を支える。しかし、できる就職先がほとんどない現状にぶつかる。かろうじてパートでもと、雀の涙ほどの給料を稼ぐのだが、生活は楽にならない。休みの日に親父は相変わらず家でぐうたらな時を過ごすのだが、奥さんは休みの日でも家事を休めない。
この光景は、彼らが子どもの頃、自分の両親を見て、潜在意識に焼き付いた姿だ。それを繰り返してしまうのだが、男は給料が親父の世代よりも少なくなっているのにかかわらず、親父と同じぐうたらを繰り返す。しかし、家の家計を切り盛りして家事をこなす奥さんの姿は、不安な将来と厳しい現実を意識して、心が穏やかではない。すると、ぐうたらな自分のダンナに腹が立ち、だんだん家の中が殺伐としてくる。その有様を現代の子どもは見ている。特に娘はよく見ている。家事をこなす母親の姿が美しくないからだ。昭和世代の女性には、「家事、それが私の使命」的な意識の高さがあり、それが子どもには美しく映った。だが、この現代において家事をこなす母親の姿は全く美しくない。この状況は娘の潜在意識にすり込まれてゆく。そこで娘は、「これじゃいかん」という気持ちになってくるのだ。どうしても母親を意識してしまう娘は、「男はダメだな」と思うようになる。
そうして、男に頼らずに生きてゆく方法、自分が将来自立するにはどうするのかを考えるようになる。しかしこの日本の現実社会は男社会だから、結局、専門職への道を歩むことになる。女性は男社会に立ち向かうために、自分の技能に磨きをかけ、それを強化する方向へと進む。