一方、美人に生まれた人はそれほど魂レベルが高くない。最初から魂が低レベルのため、ハンディをもらっての出生だ。修業は同じ魂を磨くことだ。元々美人なのだから、劣等感と闘う必要ないため、魂磨きの修業に没頭すればいいのだが、それも難しい。劣等感はないものの、優越感というものが出始めて、魂磨きを忘れてしまう。自分の容姿に傲りが出てしまう。そうなると、天女の羽衣など永遠に手に入らない。逆に、ペナルティが与えられる。美人というアドバンテージを持つものには、ペナルティも同時にある。出たな、アニキ哲学「二面性論」だ。「人間に与えられいるすべて原始機能には二面性がある」という真理だ。
で、この場合の二面性、つまりは美人へのペナルティとは、「美の没収」だ。これはむごいペナルティだ。傲りの大小によってペナルティの大きさが決まる。傲慢であればあるほどペナルティは大きくなる。これには大きく分けて二つある。一つは、前回も話したが、美の期間の減少だ。美人でいられる期間が短くなる。「花の命は短くて…」ってやつだ。しかし、このペナルティは真のペナルティではない。気づきがあれば、それを食い止めることは可能だ。どういう意味かというと、美の期間の減少分は天女の羽衣で補えばよいという話なのだ。美人は誰でも、老化と闘わなくてはならない宿命がある。美しくいられる期間が短いか長いかの差なのだが、美を若さでカバーできているうちに、その秘密に気がつきなさいよと、猶予が設けられている。美人だろうが不美人だろうが、若さという猶予期間の間に、美を長く保つ秘密を見つけることがひとつの修業である。それが、「心を磨きなさい」ということだ。もう一つは、完全なる美の没収だ。これは、人間の創造主がその人に美を与えておくことをやめたことを意味する。傲慢さに際限がなくなり、美人であることに何の感謝もない。さらに、不美人をけなす行動などすると、天の裁きが下る。具体的には言わないが、想像できるだろう。事故や病気などだ。美人はアドバンテージはあるものの、ペナルティもそれなりに大きい。超美人であればあるほど、時限爆弾のように大きなペナルティを背負っているのだ。美人の人よ、よく周りを見てみてはいかがなものか。あなたの存在のおかげで苦しんでいる人はいないかな?美を失うということは、そのことに気づかせてくれるという目的がある。創造主はいつでも、不幸なんか与えない。いつも、傲り高ぶった人に対し、その自慢の種を奪い、気づきのチャンスを与えてくれているだけである。
美人はその優越感による傲りという甘い罠を乗り越えて、天女の羽衣をゲットするか。不美人は劣等感と嫉みというハードルをどう克服して天女の羽衣を手に入れるか。それが今世のゲームだ。天女の羽衣獲得ゲームなのだ。だから、ホント世の中はよくできている。美人と不美人、そこに不公平はない。きっちりとバランスは取れている。あとは、お互いに持って生まれたカード使い、必勝のコツを掴みゲームで勝つことを考えればよい。コツとは、世の中のそのしくみに気づくかどうかだけである。で、敵はどこにもいない、敵は自分自身なのだから。
これが、アニキ哲学「ゲーム理論」だ。