以前のブログ「男は絶滅する」について、反響が大きかった。以前のブログでは、女は男より優秀な種であると話した。その部分において、反発が大きかった。反発するのはおとこばかりであったが。だが、どんなに反発しようが、これは事実である。
何をそんなに反発するのだろうかと、その反発内容をよく聞いてみると、実に拙い。内容を少し紹介しよう。まず、「女は男よりも弱い」というものがほとんどだ。肉体的な差のイメージが大ききのだろう。格闘技で男と女が闘えば、男の方が勝つ。これは当然の話である。男は女からの派生種であり、女を外敵から守るために意図的に作られた生き物だ。女や家族を外敵から守ることと、猛獣と戦い食べ物を確保することがその役割である。そのために、強靱な肉体と攻撃的な性格が与えられている。だから、女に勝つのが当たり前であり、そこを自慢しても意味がない。
そもそも、肉体的な強弱が人間の優秀さを決めるのかと言えば、そんなことは全くない。そんなことは子どもでもわかる。アニキ哲学において、カラダはただの魂の入れ物にすぎない。今世の乗り物であり、ただのモビルスーツだ。そこに反発してみても意味はない。肉体の強さの違いを盾に取るのはレベルが低すぎる。
次に多い反発として、創造的な能力は男が上だとか、物事のコーディネート能力も男が上だとかという意見だ。数学は男の方ができるというような意見もここに含めてもいいだろう。この手の反発も前述の通り、男と女の役割による差と考えるべきで、創造力が高いから上だとか、コーディネート能力が高いからエラいだとか、そんな基準を誰も決めてない。それは、創造力が高い方が人間として上だと思っている人の勝手な解釈だ。数学ができる人の方が果たして頭がいいのだろうか?人によっては、国語ができる人の方が頭がいいと思うかもしれない。逆に女性は、きれいなものを愛でる心があったり、コツコツと地味な作業を長時間続けることができるという能力が上回る。記憶力がよかったりするのだ。それを、どっちの能力が上だとか下だとかは優劣つけられない。女性の数学者もいるし、女性のコーディネート能力の達人もいる。よって、そもそもこれらはどれも個体差の類いだろう。
要するに、物事それ自体はすべてフラットであり、それを見る人の心によって優劣が決まってしまうわけだ。絵が上手くて足が速くてハキハキと元気のよい子が優秀に見えるだけで、それも自分が子どもの頃にそういう子どもに憧れがあったから、優秀に見えてしまうという偏見だ。だから、この能力的な優劣についても反発する話ではない。
ただ、ここで注目しておかねばならないのは、なぜ男には単発的な創造的な力が上回り、女には細かい単調な作業を長時間できるのかということだ。男は単調な作業にすぐ飽きてしまう。それを無理して長時間続けようとすると、ミスが増える。そこに、楽しさがないと続けることができない生き物だ。しかし女はそれを淡々とこなす。世界の工場の検査員がほとんど女性であることを鑑みれば、その能力の差が本当であることがわかるだろう。では、この違いは一体どこから生まれてくるのだろうか?