まあ、愚痴っても仕方ない。それより、狭い心じゃ、人生の落伍者も同然だ。そうならないためにも、強制的に心をストレッチさせてゆく必要がある。本題からかなり逸れているが、心のストレッチについてもう少し言わせてほしい。
では、強制的心のストレッチとはどんなものなのか?だ。今からでも遅くない、少しずつでもいい、心は鍛えれば広がるものなのだ。まず、心のストレッチとはどういうことをすればいいのかを、検討のつかない人のためにひとつ例を挙げよう。例えば、仲の良い友達同士で、お互いに相手のダメ部分を伝えることをする。相手の悪いところを正直に指摘してやるのだ。ウソついちゃ意味がない。真実を伝える。誰にだって、言い面と悪い面があり、悪い面は目をつぶってしまう習慣があるが、それを思い切って相手に伝えてしまおうってことだ。その時に注意しなければならないポイントが2つある。これが抜けると、あとあと面倒なことになるから、注意してくれ。まずひとつは、「相手のためを思って言う」ということをきちんと伝えて、相手の了解を事前に取ることだ。「おまえによくなってもらいたいから、よく聞け」ということを最初に伝え、相手が「嫌だ」と言えばやめたらいい。受け入れる姿勢が相手にないと、言われた相手はただの悪口にしか聞こえないからだ。言う方は、相手のことを思って真剣に伝える。言われる方は、自分のために正直に言ってくれているから「ありがたい」と受け止める。この状態を作り上げた上で開始しなければならない。関係がギスギスしては元も子もないからな。これが1点目だ。そしてふたつめは、「少なくとも俺にはそう見える」と言うことを最後に付け加える。嫌なことをはっきり言われた相手が、「そんなことはないだろう」と反発する時に、「他の人がどう思うかは知らんが、俺にはそう見えるんだ」と伝える。そうだ、そいつにはそう見えている事実があるわけだから、「ごちゃごちゃ言う筋合いの問題ではない」ということを認識させる必要があるのだ。この2点に気をつけて、ストレッチ開始だ。遠慮なんかするなよ。それは相手に失礼だ。ストレッチの意味がなくなる。限界まで伸ばすことにストレッチに意味があるからだ。思いっきり言ってやれ!
そうして、心をまずどん底につき落とす。で、どん底に突き落とされた心は、思いっきり張り裂けそうになる。今まで親しいと思っていた人間から、非情なまでの厳しい言葉を受けるわけだからだ。立ち直れなくなるくらいだ。これが心を思いっきり伸ばした状態だ。思いっきり伸びたその心は、切れる寸前までいくだろう。そこで、今度は縮めてやらなくてはならない。ストレッチは伸ばして縮めてが基本だ。縮めるには次のことをやる。お互いの良いところを誉め合うのだ。親しく付き合ってる友人なら、悪いところより良いところの方が多いから親しいのであって、考えなくても次から次へと出てくるだろう。それが心の縮めだ。まあ、そんな感じだな。
要するに、プラスとマイナスのサプライズを出すことにより、心の可動域を広げる。これらは一例にすぎないが、こんな調子の訓練を子どもの頃からやるべきではないか、というのがアニキの意見である。学校の教育にこんなものも取り入れるべきで、それは頭のいい人達に考えてもらえばいいのだが、いつの時代になることやら。
こんな訓練を受けた子どもが大人になったら、坊さんだらけの社会になるかもしれんな。