ちょっと話は逸れるが、大事なことなので言っておく。アニキ哲学の読者ならご存知だろうが、はじめての人に補足しておくことがある。アニキは輪廻転生という考え方を軸としている。だから、この世は修行だという考え方が腑に落ちる。何度でも修行するために生まれ変わるという考え方が一番スッキリする。修行であるから、生まれ変わる度に、当然違う相手と夫婦になる。たまには、一人で人生を過ごす転生の時もある。それも修行だということだ。この考えをベースにして、「夫婦は修行」と最初から考えておけば、結婚生活で起こるほとんどの現象は想定内ということにならないだろうか。
そういえば昔、アニキが子どもの頃、「ダメおやじ」という漫画があった。題名が面白いから見てみたものの、ひどい漫画だった。ダメなおやじというキャラクターはギャグではなかった。奥さんがオニババという名前で、だんなをいじめるのだ。本当に虐待に近い奥さんからのいじめだ。バットで殴るのは日常で、逆さにつるされたりするのだ。子ども心に、「この漫画はひどいな」と思っていた。周りのだれも、この漫画をギャグ漫画だと思って見ていた奴はいないだろう。さらに、息子もいじめに加担するから始末が悪い。おやじが限りなく気の毒なのだ。何の効果を狙って作った漫画なのか?意味がよくわからない。漫画とは子どもに希望を与えるもののはず。なのに、この漫画は逆だ。嫌悪感しか残らない。教育にもよくないんじゃないかと思ってしまう。日本の文化として隠したい漫画だ。案の定、再放送されたという話をアニキは聞かない。ダメおやじの話はどうでもよい。要するにここで言いたいことは、夫婦は修行で、ダメおやじも自分でそれを決めて生まれてきたということだが、その修行はハンパじゃない。身も心もボロボロになるとてつもない荒行で、アニキのような未熟者では全うすることはできない試練だ。オニババじゃない普通の修行で充分だ。
話を戻そう。で、修行であるなら試練がつきものだ。しかもそこに強弱がなくてはならない。ダメおやじの修行のように、絶え間なくいじめられている状態では修行には耐えられない。心は、試練の強弱により、伸びたり縮んだりを繰り返して成長する。カラダだけではない、心もそうやって成長してゆく。心の可動範囲を徐々に広げるのだ。突然心が伸ばされたり縮まされたりするから、逆キレや鬱などという心がキレた状態に陥る。当たり前だよな、心の可動範囲が狭く、柔軟性がないからキレるのだ。
アニキは何が言いたいのかというと、柔軟体操もせずに、試練に真っ向から立ち向かうなということだ。スポーツするときには、必ず柔軟運動するだろう。なのに、なぜ人は試練というスポーツをする時に、心の柔軟体操をしないのか。ここが肝心なのである。学校では、カラダのストレッチは教えるのに、なぜ心のストレッチは教えないのだろうか。アニキは思う、こいつを学校で教えるようにできれば、世の中の犯罪は減るはずだ。心の可動範囲が狭い奴が多すぎるから、変な奴がはびこるのだ。