傑作「私をスキーに連れてって」に酔え!(3/4) ~心のストレッチ~
傑作「私をスキーに連れてって」に酔え!(3/4) ~心のストレッチ~

傑作「私をスキーに連れてって」に酔え!(3/4) ~心のストレッチ~

 その全編において、いろんな原田知世を見ることができる。周りのキャストは全員原田知世の引き立て役にすぎない。「美人は美人とつるまない」の鉄則通りだ。さすがに裸のシーンは出てこないが、そんなものを期待してはいけない。この映画にそんな卑猥なシーンは似つかわしくないからだ。原田知世は脱がしてはいけない女優で、そんなことは誰でも知っている常識だった。彼女は厚着でいいのだ。薄着が似合う美人は多いが、厚着が似合う美人は本当に少ない。「いいから服を着てろ」と言いたくなる女性、そこが彼女の最大の魅力だ。そんな原田知世をじっくりと堪能してほしいものだ。大げさかもしれないが、歩く芸術である。芸術といえば、そのバックに流れるユーミンの音楽もこの映画の価値を格段に上げた。

 当時の若者にとって、サザンとユーミンは音楽の象徴だった。時代は、レコードからCDに変わり、カラオケが世の中に出始めた頃だ。若者なら誰しも、サザンとユーミンの歌を気軽に口ずさむことができた時代だ。カーオーディオにはサザンとユーミンのカセットテープがないと、女性から見向きもされなかった。なぜか、夏はサザンで冬はユーミンだった。夏は、浮き足だって海へナンパしに行く男達の心を捉え、仲間と車でサザンを聴いて士気を高めたものだ。

 そんな浮ついた夏に捕まえた彼女は、本物ではなかった。「夏に絶対彼女を作る!」という目標を掲げ、かわいい彼女をゲットすべく燃える。うまくゲットする奴もいるが、夏も終わりに近づいても彼女ができず、焦りまくったあげくに残り物に手を出してしまう奴も多かった。そういうことを皆、経験してきた。いろいろあっていいのだ。楽しいひとときを過ごしたという充実感がある。冬には、夏につきあった相手とは、クリスマスを過ごす前に必ず別れてしまっている。クリスマスは大概一人である。ヤローでつるんで飲むのが定番なのだ。そして、家に帰ってひとりになると、別れてしまった彼女を思い出し、しんみりとユーミンを聴いたのだ。まるで心のストレッチだな。そして、それが毎年輪廻の如く繰り返された時代だ。絶頂期とどん底期でとにかく心が忙しい。心が伸びたり縮んだりさせられる。

 アニキ哲学でもよく話すが、実は心もストレッチが必要だ。ストレッチで心を伸ばしておかないと、心が簡単に折れたり切れたりする。逆切れとは、まさに心が切れる状態で、心の柔軟性が足りない奴に起こる現象だ。当時の若者は、遊びを通して無意識に心をストレッチしていたから、自然と心の可動範囲を広がっていった。だから、アニキ世代の男は、簡単に心が折れない。カラダは固くても心は柔らかいから、結構心がタフな奴が多い。彼らの根底には、「命までは取られない」という信念があったから、仕事でもナンパでもゴリゴリいけた。心もカラダと同じように柔軟性が必要なのだ。カラダのストレッチの重要性はよく言われており、本屋いけばよく目につくし、雑誌ターザンなんかでは重要なテーマにしている。なのになぜか、心のストレッチを教えてくれるところはない。心とカラダ、どっちも大事で似た性質なのに、おかしいよな。

 おっと、心のストレッチの話は長くなるから、別の機会にしよう。