毎年冬になる前に必ず見る映画がある。アニキのバイブルでもある映画だ。この映画こそが、過ぎ去りし日の自分の心に戻れるスイッチだ。そんなスイッチは誰しも持っているはずだが、過去にいい想い出のない人にはこの感覚はないかもしれないが、このスイッチを見つけるために、人生の棚卸しをしてみるのもいい。面白い事実が見つかるかもしれないからだ。おっと、今日は哲学の話は抜きだ。過ぎ去りし日の郷愁というか、想い出というか。
余談だが、アニキはくだらないものが大好きだ。くだらないとは、それに価値を見いださない人の批判なのだが、そんなことは世の中にいくらでもあるのだから、人の意見など気にしなければよい。まずは、くだらなさの中に自分なりの意味を見つけて、楽しみを見いだすのがこだわりだ。それがアニキの趣味哲学である。だからこの映画も、くだらないと思う人にはあまり価値はない。この映画がサイコーだと言う人と分かち合えばよい。この映画、まさに芸術であると言っても過言ではない。では、アニキが芸術であると確信するシーンを紹介してゆこう。これらがあるから何度でも見てしまう。
まず、スキーに行こうとする主人公が、タイヤをスタッドレスに交換するシーンから始まるのだが、ここでグッと映画に引き寄せられる。かなりのつかみである。ワクワク感を重要視したつかみであり、当時の若者の心をわしづかみにしている。家の場所は、世田谷区当たりの住宅地だろう。若いくせに屋根付きガレージを持っているという贅沢な身分だ。親父が金持ちなんだろうということで、視聴者は許したのではないかと思う。サラリーマンの現実がよくわかってなかったあの頃、その程度は努力すれば手の届く範囲であると考えていたから許せたのだと思う。アニキ世代は、車やバイク、オーディオなどのメカニカルなものが大好きで、ガレージとは当時、その趣味の最高峰に位置する憧れだった。今でいう羨望の「ガレージライフ」である。そこで、ひとり黙々と出発の準備をする姿に、自分をラップさせたのだ。そして爆音と共に出発するのだが、ガレージのシャッターもリモコン操作により、電動で閉まる。20代のサラリーマンの生活ではない!その憧れに陶酔した。だがここで、車をトヨタのFF車としているところに、少し庶民的な部分を残しているのだろう。車がアウディクアトロやベンツのゲレンデファーレンだったら、この映画は流行らなかっただろう。ここでのキーワードは「手が届く憧れ」だ。憧れは手の届く範囲でなければならない。という意味では、主役の三上博史も手が届く男として映っていた。今のご時世でいうところのイケメンではない。イケメンを起用していたら、間違いなくダメだったであろう。ブ男じゃ原田知世と釣り合わないから全く話にならないが、三上はまあそこそこという感じで許されるイイ男系だ。
そして極めつけは、出発した直後から流れるユーミンの歌のタイミングが絶妙さだ。つかみとはこうあってほしいという典型である。
このつかみを超える映画を、アニキはまだ見たことがない。