好みの話に戻そう。好みは原始機能である。だから、それを否定してはいけない。万人に好かれようとか、逆にえり好みはいけないとか、無理に自分を律することはよくないと言っておこう。それは、なぜか?
実は、人間がこの世で一番やってはいけないことがある。それは原始機能の否定だ。せっかく創造主が必要だと考えて備え付けた機能を否定してしまうことは、ぜったいにやってはいけないのだ。創造主の目的を妨げる行為となるからだ。創造主は、人間の進化を目的として原始機能を与えている。それを否定するということは、進化を拒否している者で、創造主にとっては好ましくない存在なのだ。そういう魂は、「戻って来い」ということになる。ウルトラセブンのカプセル怪獣のように、創造主は、その人間がダメだと思ったらあの世へその魂を戻す。魂の「戻って来い」とは、つまりは肉体の死を意味する。原始機能を否定して生きるということは、元々設定されている寿命を廃止して、即返還命令が下ることになるのだ。ここがわかってないから、欲を持つなとか、夢を見るなとかいうような行動を続けていると、不幸が待っていることになり、病気や事故に遭う確率が高まる。だから皆、人生がうまくいかない。努力の方向が間違っているのだ。アニキ哲学的に言えば、正しい努力をしていないことになる。何でも、単に努力をすればいいというものではない。いくら努力しても、それが正しい努力でない限りうまくいかない。いくら努力しても、思い通りの成果が出ない場合、その努力が正しいのかどうかを疑ってみる必要がある。稲盛さんも言ってるだろ、努力の成果は考え方で決まると。
で、今回のテーマである「好み」の否定だ。「えり好みは悪だ」という考えは最も危険だ。何が危険なんだ?と思うかもしれないので、少し説明しよう。
実は、創造主にとっての悪とは、人を殺すことでもモノを盗むことでもない。そんな小さなことは、創造主にとってはどうでもいいことだ。創造主にとって人を殺すことが悪だというのなら、天災を起こすはずがない。そこでは何千人という人が死ぬわけだが、創造主はそれにはかまわない。なぜかっていうと、創造主が大事なのは魂だ。魂が大事であり、カラダは大事じゃない。そう、カラダは魂の入れ物であり、「死」とはカラダの死であり、魂は永遠のものという考えだ。だから、創造主は入れ物の破壊には何とも思ってない。これが基本だ。魂が重要なのだから、その魂の修行である転生も大事なのだ。課題を持って生まれ変わり、現世で修行をする。その修行を妨げるものや妨げる考えが、創造主にとっての悪となる。我々一般ピープルが考えている「悪」と、創造主が考える「悪」とには大きな相違がある。ここが理解できると、世の中の理不尽がわかってくる。大きな災害が起きると、この世には神も仏もいないとか?となってくるのだが、そうじゃなくて、創造主が何かを伝えたくて天災を起こすと考える方がリーズナブルだ。
好みという話題からだいぶ話がずれてしまったな。でも、これは大事だから、アニキ哲学では何度でも話すが許してほしい。