しかし、好みとは単なる外見だけの話なのだろうか?人間の場合の外見だけではないはずだ。
余談ではあるが、昔、アニキの会社の女性社員に、くまのプーさんが好きな人がいた。その嗜好から、みんなから「かわいい」と言われていた。ある日、取引先の若い男で、プーさんというあだ名の人が来社した。そのあだ名から、くまのプーさんによく似ているのだが、特にお腹周りにその特徴は顕著に表れていた。当然、くまのプーさん好きな会社のその女性に会わせた。あとで「気に入ったか?」と訊いてみたが、返ってきた答えは「ノー」だ。彼女は、くまのプーさんは好きなのだが、プーさん似の男は好きではなかったのだ。ここに好みの矛盾がある。人ではないものが好きな場合、それが現実にいたとしても、好きにはならないという矛盾だ。まあ、プーさんに似た奴を想像してくれ。現実にそんな奴がいても、かわいさのかけらもないだろう。暑苦しいただのデブである。
じゃあ、プーさんとプーさんに似た奴との差は何なのだろうか?単なる漫画と現実の違いだけなのか?そうではない、そこには大きな違いが存在するのだ。プーさんはかわいい外見だけでなく、行動もかわいいのだ。かわいらしい仲間がいて、その仲間とほのぼのとした日常を過ごす。このワールドこそがプーさんなのであり、現実のプーさん似の男にはこのワールドはない。太って重たそうなそのカラダからほとばしる汗と常に息切れする姿は、全く絵にならない。しかも気の利かない仕事仲間とのストレスの日常は、ほのぼの感もゼロだ。殺伐とした空気さえ流れてくる。さらに、プーさんのように蜂蜜ばかり食べていたら、現実のプーさん似の男はとっくに糖尿病だ。
つまりアニキは何が言いたいのかというと、人の好みは外見だけではないということなのだ。好みとはまずは外見から入るのだが、外見だけにとどまらない。その人の周りにある世界観(以下ワールド)が重要なのだ。ワールドこそが好みを決定づける。ワールドは外観がストライクゾーンの外側でも、ど真ん中に見せてしまう魔力を持つ。暴投もど真ん中に見せてしまうのが、ワールドの幻術だ。実は、その世界観の中では、性格や人間性をも脚色されてしまう。ワールドの恐ろしさはここなのだが、外見に捕らわれると自分の判断基準が乱されてしまい、その幻術がわからなくなる。人間も蜘蛛同様に巣を仕掛けることができる。蜘蛛の巣のように目に見える巣ではなく、人間の「心」を目に見えない糸で絡め取り自由を奪う。ご存じの通り詐欺も人の心を利用した罠のひとつであるが、相手のワールドという蜘蛛の糸に捕まってしまうと、心の身動きがとれなくなる。これをアニキ哲学では、これを「ワールドマジック」と呼ぶのだが、つまりはワールドが作り出す幻術である。ワールドマジックについては、後日ブログでまた話そう。名前はかわいいのだが、人に及ぼす影響は多大だ。
さらにそれは心を利用した罠であるが故に、本来なら「疑う」という心の機能すら働かなない。幻術を見せられたまま人生は進むことになる。結婚したあとに「こんなはずじゃなかった」という話を聞いたことがないだろうか。これはワールドにやられたいい例だ。はっと我に返ったとき、「なんでこんな人を好きになったのだろうか?」と自分の心を疑ってしまう。
そう、相手のワールドの霧が晴れてしまうと、実はストライクゾーンの縁の人間であったことがわかってしまうからだ。