人間関係の意義を理解するために、人間関係の性質の理解が必要だ。人間関係に性質なんてあるのか?と思うかもしれないが、いくつかあるのだ。ここを押させておかないと、人間関係の意義の理解はありえない。どんな性質があるのかを説明してゆこう。
まず、前回の終わりにも触れたが、「逃げられない」という性質だ。そう、人間関係からは決して逃げられない。これが人間関係第1の性質である。
目の前に現れた人、自分と全く合わないこの人とは、できれば避けたいものである。なるべく自分の視界に入らないように努力するのであるが、どうしても接点があるために会話しなければならない。避けたいのに、なぜか避けられない。実は、世の中はそういう風にできているから、避けることはあきらめた方がよい。この世は人間関係の修行である。あなたがそう決めて生まれてきたのだ。とすると、この世は試練なのだから、当然あなたの目の前に出てくる奴は、合わない奴ばかりだ。それは自分で決めてきたわけで、「なんでこんなに性格が合わない人と仕事をしなきゃならないのか?」という疑問は論外となる。創造主にしてみれば、生まれる前は威勢のいいこと言ってたわりに、大したことないなということだ。自分で決めたわりには、意外に根性がないと見られる。性格の合わない奴が現れるのを、あなたが自分で決めてきている。そして、その目の前の合わない奴とは、生前に「ぜひ嫌な奴を演じてくれ」と、あなたがお願いして頼んでいることを忘れているのだ。創造主にしてみれば、「なんだ、こいつは?口ほどにもないな」という感じだ。でも、せっかく生前に打合せした役割関係だから、逃げてしまっては意味がない。「何とか、逃げないで修行に結びつけてやろう」という力が影で働いている。これが、「逃げられない」という「人間関係第1の性質」である。お互いが、「この日この時、この役割で」と決めて性格が合わない関係を無意識に演じているのだ。
だから、逃げようと考えても、相手も「この日この時この性格で」と予定を合わせていているわけだから、簡単には逃げられないしくみになっている。単なる他人であれば逃げられるだろうが、会社の上司部下や夫婦や親戚関係などでは無理だ。そんな逃げられない関係に中に、性格が合わない人ができてきたら、まさに修行スタートという話だ。ところが、やはり何とか逃げようと努力するわけだが、本人が逃げたと思っても、全然逃げられてない。ただ、顔を合わせないようにする程度の逃げでは、関係が余計悪化するようにできている。で、逃げよう逃げようと考えることにより、関係が悪化するだけではなく、大きな罰を受けることになる。