前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入ろう。要するに、学生時代までは人生ではない。人生の準備期間だ。ではそのことは、人生においてどんな意味をもたらすのだろうか。順番に見てゆこう。
学校生活となると、日本では小学校からが義務教育となるわけだが、大概の日本人の子どもは幼稚園や保育園に行く。幼稚園はさらに小学校への準備期間となる。だから、アニキ哲学では学校の一部、すなわち人生の準備期間の一部に組み入れている。生まれて幼稚園に行くまでの間は、家庭中心の生活だから、親の管理の元いろいろ学ぶことになるのだが、親のレベルによってその教えはまちまちだ。過去ブログ「親の謎『親の心子知らず』」や「『優しさ』と『甘さ』」でも話したが、親も「親初心者」だから、子育てに関してはいろいろ迷う。間違っていることも多い。家庭内においては、他人が誰も見ていないから、間違っていてもそれがいいのか悪いのかわからない。だから、子どもが苦労するわけで、早く幼稚園などの社会で磨かれた方がいいわけだ。
何度も繰り返すが、親とはカラダの親であって魂の親ではない。魂には親はいないのだ。人間は魂が主体であって、カラダはその乗り物だから、親はその乗り物を作ってくれた人にすぎない。自分の乗り物を作ってくれて、それを大きく育ててくれたのだから、そこには恩義は感じないといけない。詳しい話は、過去ブログ「『今世の乗り物』を乗りこなせ」を読んでくれ。とするならば、親も子どもも魂においての上下はない。同格なはずだ。親は子どもよりも少し早く生まれただけで、この世での魂の先輩という位置づけだ。
だから、先輩であるカラダの親が、人生のしつけをいつまでもやろうとするからおかしくなるのである。先輩は自分のこの世での経験を踏まえてアドバイスしているつもりだろうが、小さな子どもにとってそれが本当に正しいかどうかはわからない。子どもは脳が発達していないから、魂で物事を見るわけだ。親のしつけも魂で見ているから、親の言うことがなかなか理解できない。それは、親が自分の都合で物を言うからだ。だから、子どもには理解ができない。親の言うことが難しいからではない。子どもはその魂で見ると、親の言うことが矛盾だらけだからだ。物心が着く前の子どもが親の言うことを聞かない本当の理由はここにある。
世間でよく言われる、「子どもは親の言う通りには育たない、親のように育つ」と。だから、早く「人間のしがらみの世界」へ放り出すのが正しい対処方法だ。人生は人間関係を学ぶ修行だと言われている。それなら、「人は人の中で磨かれる」これが真理だろう。幼稚園に行かせる本当に意味はここになる。
で、日本人の場合、小学校に上がる前の2,3年を幼稚園や保育園で過ごす。子どもにとっては初めての社会である。それまで家で親と遊んでいた世界とは全く異なる。まるで異次元だ。家では王様気取りだったワガママな子どもも、幼稚園ではその自由さを奪われる。内向的な子どもは、いきなりたくさんの子どもの中に放り込まれ、どう対処したらいいのか不安だらけだ。嫌でもストレスが溜まるのだが、それでいいのだ。