そこで登場するのが「運」だ。幼稚園から高校まで心を伸ばせと言い続けてきたのは、心を伸ばすことにより懐が深くなるからだ。器がでかくなるともいうが、人によって呼び方はいろいろある。そして、懐が深くなると自分の我(が)が少なくなり、人に優しくなれる。そこに「運」が生まれる。そう、だから小さい頃から、「運」という武器を少しずつ育ててきたその成果が、ここで生きてくる。自分の行動軸がうまくいくかどうかは、「運」が決める。
人生すべて二者択一だ。常に道が枝分かれしている。どっちに進もうか迷っても、結局はどちらかを選ぶことになる。その判断が正しいのかどうかは「運」のみぞ知るだ。アニキ哲学的に言えば、どっちを選ぶのも人生だ。でも、できれば自分の望んだ結果になる道を選びたいよな。で、「運」という武器があれば、選んだ方選んだ方に自分の望んだ結果がある。これが「運」を味方にできたということだ。そうなると自信がつく。自分の判断に自信がついてくる。自分の行動軸は正しいとの解釈となり、今後もその流れで行けるという確信に繋がる。それを不動のものにするために、今度は社会で試して経験値を積んでゆくことになる。そこまでいけば、小舟で世の中という大海にこぎ出しても簡単にはやられない。
中学卒や高校卒で社会という大海にこぎ出すことは自殺行為であるからと、親は大学まで出そうとする。それは、勉強した専門科目を磨いてほしいからではない。大学卒業までの間に、人生の行動軸を手に入れてほしいからだ。だから、大学では良い成績を取らなくても、別に親は文句を言わないだろ。規定年数で卒業さえしてくれればいいと思っている。大概の親は、子どもに自分の行動軸を身につけて社会に出てほしいと思っているのだ。
しかし、それがわかってない親も多いのも事実。小舟じゃ心細いだろうからと、バカ息子を鉄の大船に乗せたところで、座礁してしまえば終わりである。それは、船の大きささえあれば、大海を渡れるという短絡思考である。その船に航海術が備わっていなければ、船が大きくても沈む。そんなこともわからないようじゃ、親も幼稚園からやり直せと言いたい。
もう一度言うぞ。「運」を手に入れようと思うなら、幼稚園で心を学び、小中学校でそれに柔軟性を与えてさらに伸ばし、高校でプレッシャーをかけて丈夫に鍛える。すると、懐の深さが手に入り、我(が)が消えて人に優しくなれる。そして大学で、実社会の端っこで鍛えた心を試し、己の心のあり方という行動軸を手に入れる。すると、自分の選んだ選択肢が望んだ結果となるようにできている。
だからアニキは、「学校」は「運」という武器を育て上げる人生の準備期間であると、しつこいくらいに言うのだ。そこで育てあげた「運を纏った行動軸」を使って初めて、人生が始まる。そして、一番大切なことは、将来、「何になりたいかではなく、どういう人間になりたいか」である。だから、仕事なんかは何でもいいのだ。目の前に現れた仕事に就けばいいだけだ。これを、「わらしべ長者論」という。この話は別途後日ブログで話そう。
だから、社会人となるということは、どんな船でもよい、大海へ繰り出すことが重要なのであり、どんな船に乗るのかは全く重要ではない。「乗る船の自慢をする人間は小者だ」ということを覚えておけ。
「運を纏った行動軸」があれば怖いものなしだ。若者よ、自信を持って「海を渡れ!」