アニキも大学へ行ったが、大学ではアルバイトに没頭して、ほとんど勉強はしなかった。大学では何を学ぶのか?前回でも話したが、それは、一夜漬けで何とか定期試験で点数を取るための要領の良さと、勉強はやっぱり向いてないないというダメだしだ。16年も勉強してきて、自分に勉強が向いてないことがやっとわかるのだ。大学生活には有り余る時間がある。その時間を何に使うのか?大学というところは、有り余る時間を好きなことに使う場所なのだ。
大学は勉強するところだと本気で思っている輩に、「大学で勉強したことの内、数十年後、何か恩恵を受けていることはあるのか?」と質問してみたい。大学での恩恵とは、愚痴を聞いてくれるありがたい友と、単位を取れる要領の良さ、それと膨大な暇な時間、それだけ。で、一番重要なのは、膨大な有り余る時間だ。膨大な時間は、それを使ってアルバイトや海外放浪などの好きなことをする。これが大学へ行く意義だ。そういう意味では、世界の大学とは意味は異なるが、日本の事情はそういうことなのだから、そこに議論の価値はない。
はっきり言おう。これはアニキの偏見だけど、大学時代にアルバイトしない奴はダメだ。ここで、社会という大海の一端を肌で感じ、お金を稼ぐ楽しさと厳しさを体験すべきだ。アルバイトにはまると、学校の授業よりも面白いから、どんどん仕事にのめり込む。真剣に働く奴は、アルバイトの長になんかなったりして、ますますやる気を出し、人の使い方なんかも覚える。「アルバイトは責任がないから」なんて言う奴もいるが、アルバイトも熟達してくると当てにされるものだ。頼りにされると、何とか解決しようと、自分にプレッシャーをかけて頑張るんだよね。これは本当にすばらしい経験だ。日本人は、アルバイトでも仕事に対して決して手を抜かない。この話は、アニキ過去ブログ「日本人の偉大さ」を読んでくれ。そこに詳しく書いてある。
別に、バイトだけが社会じゃないから、バックパッカーでもスポーツでも何でもいい。アニキはバイトしかしてなかったから、他の世界がわからないだけだ。とにかく、好きなことに没頭する中で、人は成長してゆけるはず。人は何かに没頭してゆくと、それが「道(どう)」となるからだ。アニキがいつも言っている日本人特有の技能、道(どう)だ。自分のやっていることが道(どう)となると、いろんな障害が増える。障害といっても、心の持ち方ひとつなのだが、細部において気になることが増えてくるのだ。
最初は興味本位から始めた物事なのだが、それが上達してくると、教える立場になったり頼られたりしてくる。そうなると、自分が中途半端だと納得しなくなってくる。その道を知らず知らずに極めてゆこうとする自分がそこにいるからだ。気がつけば、けっこう上の方にいたりして、さらに上を目指そうとしている自分がいる。自分が上に行きたいと思っていなくても、周りからも期待されるから、自分では気がつかないが、自然と上を目指している。そろそろ人生の準備期間の卒業は近い。