昨日は、新人は「脱ぐことが強制だ」と話した。喜んで脱ぐ体育会系の奴は例外だから、ここでは取りあげない。あくまでも、いやいややらされる新人の話だ。
脱ぐだけならまだしも、さらにそれから罰ゲーム的な芸をやらされるのだが、終わったあとも後味が悪い。先輩連中は、自分達がやらせたにもかかわらず、「汚い!」とか、「やめろ!」とかを連発するのだ。しかも次の日、会社ではその話題で持ちきりだ。汚いものでも見るような女性社員の視線が刺さる。やらされた方は、「なんなんだ」と憤りを隠せない。しかし、ここで新人は腐ってはいけない。新人が考えなければいけないのは、「こんな地獄のような経験がなぜ何十年と繰り返されているのだろうか?」ということなのだ。ここを考えなければ、お下劣芸はただの「さらし者」だ。アニキは言う、「すべての習慣には理由がある」だ。ただ単に面白ろおかしくそれが何十年と繰り返されてるわけではない。「なぜ、こんなバカらしい習慣が続いているのか?腐ってないで、その意味を考えろ!」が正しい対応だ。
何でもそうだが、世の中、意味のないことは少ない。くだらないことでも、実は非常に重要なことが隠されていることが多い。人はその意味に気付かないままでいるが、そのくだらないことをやることにより、無意識に身についていることがあるのだ。これが、サラリーマンの謎のひとつであり、気がつけば、会社が違うにもかかわらず、感性が似ているということがあるはず。例えば酒の席のマナーだ。他の会社の人間と酒の席のマナーについて交流したことはないはずなのに、なぜか同じようなマナーが身についている。「注ぎたいときは注がれたい時」とか、「瓶ビールのラベルは上に向け、両手で注げ」とかだ。
「酒の席のマナー」については後日ブログで詳しく説明するが、ここでアニキは何が言いたいのかというと、くだらないことを強要されることにより、自然にいろんな感性が身についてきているのだということだ。だから、「裸になること」からも学ぶことがあるということなのだ。
では、「なぜ、男は脱ぐことを強要されるのか」ということなのだが、ここに深い理由は存在する。実は三つの意味が隠されている。儀式的な意味と精神的な意味、それに営業的な意味だ。そこを理解していないから新人は抵抗するのだ。最初から分かっていれば何も恐れることはないとも言えるのだが、それでは効果がなくなるとも言っておこう。
あくまでサプライズ的に強要され、想定されてないことをいきなりクリアしないといけない状況を周囲がわざと作るのだ。ここが最も重要なのだ。