なぜこれが間違いなのか?大勢の社長連中はわかってないのだが、「社長=会社」ではない。中小オーナー企業のような小さな組織でもそれは成り立たない。創業者又はオーナーが間違えているのは、「会社は自分のもの」という認識だ。確かに、株を押さえているから自分の持ち物という意識なのかもしれない。物理的にはそうだ、だが会社は「生き物」だと言った。これはどういう意味かと言うと、年数が過ぎると会社は変化する。大きく成長してゆく。それは当たりまえだよな、会社はそれを目的としているからだ。会社が成長するということは、そこで長年利益を生み出し、従業員も増える。ルールも複雑になり、社会的信用度も上がる。このように会社を成長させてきたのは、そこで働く従業員である。だから会社とは、「そこで働く人とその人達が作り上げてきた環境そのもの」なのだ。社長が、生まれたばかりの会社を「自分のものだ」と主張することに対してはまあいいだろう。しかし、大きく成長した会社は社長が一人で大きくしたわけじゃない。出資金額以上の価値を生み出すようになった会社は個人のものではない。先にも述べたが、「働く人とその環境」であり、みんなで作り上げた結果なのであるが、面白いことに、成長した会社には魂が宿る。ここからが、「会社は生き物」であるという本質がある。
大きく成長した組織には、それ自体に意思に似た何かが存在するようになるのだ。というのも、社長がいくら大声を張り上げて独裁政治を執行しようが、ルールを厳しくしようが、その組織はすぐには思い通りに動かないもの。トップの意思通りにならない。まさに、大きな船である。大きな船は、船長が大声を張り上げても、操舵長が思いっきり舵を切っても、簡単に向きを変えないのと同じである。まるで、それ自体に意思があるかのように。それはなぜか?このブログの初っぱなでも話したが、「人は言葉ではなく、行動で動くもの」ということだ。組織が大きくなると、トップの行動が全く見えない。トップの言葉でしか判断できなくなるから、容易には動かない。動いたとしても、その動きは緩慢だ。人は「納得しないと動かない」、組織や会社も人と同じなのだ。この為に、命令が末端までなかなか届かないし、その命令伝達の中間層の理解が異なると、命令の意図があやふやになり、組織は生き物だから手足がバラバラとなり、統一的な動きができない。そうすると組織という生き物は、元々の考えのまま進もうとし、なかなか融通が利かない頑固な性格となる。
そう、組織が小さいうちは抽象的な指示でも何とか伝わるが、組織が大きくなると、今まで抽象的な指示で済んでいたことが済まなくなる。それは、直接トップの意思が末端まで直接届いていたものが、届かなくなるからだ。組織が小さい時は、抽象的な指示でも社長の性格や人間性ってものを直接感じていたから、社長の言葉がよくわからなくてもその方向性を推測できたり、または直接社長に確認したりしてやってくることができた。しかし、組織が大きくなると、そうはいかない。あいまいな指示はあいまいな解釈が生まれ、いくつもの解釈が発生する。だから、トップが期待した結果は出てこなくなるのだ。
これが大きな組織という生き物の難しいところだ。