さらに言えば、女達はケンカに強い男を全然かっこいいと思ってない。それよりは、ケンカを避けて逃げきる男の方がかっこいい。無益な争いは遺恨を生むだけという信条さえ掲げていれば、逃げることが作戦行動となる。みんなハッピーで終わるから、「闘わずして勝つ」という結果に女は惚れるのだ。一方、ケンカを売られたからと、女の目前で逃げることはできないという変なプライドは正義でもなんでもない。ただの意地であり、男気などでは決してない。ヤクザ映画の見過ぎである。ヤクザ映画はSF物となんら変わりはない。ヤクザ映画の中の菅原文太や高倉健などは、超スーパーマンだ。いくら切られても倒れないし、ピストルで撃たれても倒れない。ターミネーターと同じだ。設定がロボットでなく人間ということであるから、登場人物の生き様は実生活でもかっこよさの象徴と映ってしまうのだろうが、あれはただのロボットの生き様だと思えば、何とも思わない。たぶん女性は皆、そう思ってる。だから、彼女達はあまりSF物やヒーロー物を好きじゃない。ヤクザ映画などもってのほかだろう。ターミネータのくせに、人間くさい動きをするものだから、余計に違和感があるのだろう。つまりは、すべては非現実であるから、そこで掲げられてる正義など全く評価に価しないのだ。
しかし、たとえその正義が人として正しくない部分を含むものであったとしても、正義がない奴よりはマシである。じゃあ、正義がないとなぜ「ふぬけ野郎」なのか?
例えばだ、目の前でいじめられている奴を見て、知らんぷりできるか?杖をついたお年寄りを見て電車の席を譲らないのか?道ばたで苦しんでる人を見て、逃げるか?だれでも弱者を助けるだろう。それを見て見ぬ振りする奴をどう思う?どう考えてもダメだろう、そんなの!無関心な奴とはそういう輩で、自分の中に正義がないから、見て見ぬ振りができてしまう。心に正義があれば、見捨てることはできない。
そう、これが狭義での正義であり、「人として正しいか」という正義である。全然難しくない、簡単なことだ。別に、世の中を良くするために革命を企てることだけが正義じゃない。サラリーマンなら、ダメ課長を引きずり下ろすことだけが正義じゃない。それよりももっと身近で大切なことがある。自分の家族や友人や弱い者を守るという正義だ。守るだけじゃない。さらには、その人達を喜ばすことも正義である。これが最小にして最大の正義である。
「弱者を守り、さらには喜ばす」という簡単なことを信条として持つことは、自分の中にいつでも正義の炎を燃やすことに繋がる。そして、真の正義の味方とは、ケンカで相手をコテンパンにやっつける奴じゃない。最適な方法で弱者を守りきり、周りの人達を喜ばすことができる人間を指すのだ。
何度も言うようだが、正義とは「人として正しいことをする」という理念を心に持つことだ。それを行動の軸として日常を過ごす。日々目の前に現れる問題を、自分の正義に基づいて解決してゆく。そして、皆が喜ぶ姿を拝むことができるように立ち回る。これが正義の正しい姿だ。くだらない戦略で相手を陥れることを考えるより、そんな普通のことを念頭に行動することで、人生において胸を張れる。父親なら子どもにも胸を張れる。
それが楽しい人生となり、毎日飲む酒もうまいのだ。