アニキの「正義論」(3/4) ~正義感のない奴~
アニキの「正義論」(3/4) ~正義感のない奴~

アニキの「正義論」(3/4) ~正義感のない奴~

 じゃ、「人として正しいこと」とは何か?これって、説明必要か?とも思いたくなるのだが。全然難しくない、常識で考えてもらえばいいのだ。だから、アニキとしても当たり前のことしか言えない。「人を傷つけるなよ」とか、「人が嫌がることはやめろよ」などだ。ここで重要なことは、つねに「人に対してどうか?」だ。社会においての正しいこととは、人に対しての正しさだ。この「人として正しいこと」こそが、共通の正義であり、立場が変わろうが時代が変わろうが不変のものだ。そしてそれは、別にだれにも教えてもらわなくても、自然と身についている感性だ。これに反する行為を見つけると、人は「よくない」と感じる。そういう風になっているのだ。
 反社会的な行為であっても、それが将来の人々のためというのであれば、戦いも辞さないという考え方がある。これは、その立場の人間の正義であるが、そのために多少の犠牲が伴うという考えは、「人として正しくない」から正義とは言わない。少し難しくなってきたから、簡単にまとめよう。精神論や思想においての正義はどうでもよい。問題は、それを掲げることにより、傷つく人や生き物がいるのなら、それは正義でもなんでもない。ただの自分の思い込みだ。正義という言葉を掲げて自分達を正当化しようとしているにすぎない。
 だから、正義という言葉を掲げてきた場合、立ち止まって考えてみる必要があるのだ。「それは本当に正義だろうか?」と。判断基準は簡単だ。掲げられた正義において、だれも傷つく人やものがなければ、それはその人の正義といて認めてあげればよい。すべての基準は、何度も話しているからくどいと言われるかもしれないが、アニキ哲学の基本概念である「皆、ハッピーか?」ということである。もっと砕いていうと、「だれも損してないか?」という基準だ。別に得する必要はないのだが、損してはいけないのだ。心や体に傷つくことも損だ。
 こんな難しいことなら、正義感なんてなくてもいいと思う冷めた野郎には、アニキから厳しくお説教だ。自分の正義がないというのは、ポリシーがないのと同じだ。理念や信条がないのと等しい。こんな軸がない奴は、ただの「ふぬけ野郎」だろう。ふぬけ野郎じゃ、女にもてるはずがない。男はケンカに強い奴がかっこいいと思ってるだろうが、それはただのまやかしである。昭和60年代からのヒーロー神話やアメリカからの勧善懲悪の思想に洗脳されてるだけだ。
 ちょっと話は逸れるが、アメリカの勧善懲悪思想やヒーロー願望について話しておこう。アメリカの勧善懲悪の思想は、アメリカ政府のよる洗脳行為だ。アメリカは世界のリーダーであるという考えがあるため、アメリカ政府が敵と見なした相手は悪なのだ。アメリカが世界のヒーローであり、その敵は悪だ。それを武力でもって懲らしめなければならないという風に洗脳している。だから、世界でアメリカが起こす戦争はすべて正義であるという考え方であり、アメリカ国民はだれもそれを疑わない。それは、アメリカ側からみれば正義かもしれないが、やられた側にも正義がある。戦争では、正義の勘違いが国レベルで起こっているだけなのだ。