じゃあ、オタクと友達になるにはどうしたらよいのか?それは簡単だ、そのオタクの得意分野に興味を持てばよいだけだ。将を射んとすればまず馬からだろう。ただそれだけでよい。興味さえ持てば、人は自然と質問できるようになる。「質問はオタクの栄養だ!」オタクは質問に答えることで生き返る。
では、なぜオタクへの質問が栄養なのか?それは、人間は興味がないと質問しない生き物だからだ。質問するということは、オタクの領域に興味があることを証明していることになる。ただ、くだらない質問じゃだめだ。的を得た深い質問をすればするほど、オタクとの距離は縮まる。オタクは知識を披露したくてたまらないから、その欲求を満たしてやることになる。実はこの「質問栄養説」は、対オタク戦略ではない。元は、対女性戦略なのだ。ターゲットの女性が自分に興味があるかどうかを見るバロメータとして、かつてのアニキは使っていた。残念ながら、女性からの質問がないと自分に興味はないということになる。口説きたい女性に、自分の昔話でもよい、自分の話をした時に、何の質問もなく、「ふーん」で終わっていたなら、それはあまり自分に興味がないレベルということだ。それを単にオタク戦略に応用しただけの話である。オタクは待ちの商売だ。攻めの商売ではない。オタクというお店を開いて、いつもお客を待っている。お客の質問を待っているのだ。
話は変わるが、ブログのほとんどはオタクの語り場だ。ブロガーの深い知識の披露と、それをありがたいと思って読む読者とで成り立っているのだ。だれでも人の役に立ちたいのだ。自分の持っている知識が少しでも誰かの役に立てばいいという想いが人間にはある。これも人間の原始機能のひとつだ。そうなると、「だれでもオタク理論」が成り立ってくるわけだが、そんなことはどうでもよいのだ。必要なことは、オタクだろうが何者であろうが、専門知識を持っている人間を辞書として使えばいいだけだ。スローガンは「質問攻めでお友達!」だ。
「変人を変人だと認識した時点で、そいつは変人ではなくなる。」これは、アニキ哲学の概念のひとつだが、意味はわかるか?要は、変人を変人と認めてしまえば、想定内の人間となりうる。そうなれば、もはやそいつは変人ではないということで、毛嫌いする対象ではなくなるということだ。世に中のほとんどのことは、考え方ひとつで180度変わる。これを世間ではパラダイムチェンジとかパラダイムシフトという言い方をする。本質を知れば、物の見方が変わるということだ。変人を変人と認識すれば、いたわりの気持ちも出てくるかもしれない。
変人と付き合う必要は全くないが、よき理解者というスタンスで、最初は少し距離をおいて付き合うことを奨める。そして、自分と気が合うことがわかれば、たまには酒でも飲みに行ったら楽しいぞ。ま、好き嫌い多い奴らだから食べ物にはこだわるかもしれないが、変人には気のいい奴がけっこう多いのだ。