だから、アニキの定義では、オタクも哲学者の一つの形であり、味方につけるのが正しい。そのニッチな世界で、膨大な知見を持ち合わせているのがオタクだ。だから、オタクの形も様々で、いろんな分野に生息している。すべての分野において、そこにはオタクが存在している。すべての分野に全く興味がないという人はいないはずだ。自分が興味のある分野には必ず、その道のオタクが生息している。探さなくてもすぐに見つかる。そんなに遠くない場所にいることに気づくはずだ。オタクはシャイだから、隠しているだけのことが多い。こっちから得意分野の話題を出すと、目を輝かせて会話に乗ってくるという性質がある。そこをうまく見つければよいだろう。オタクを釣り上げることはたやすい。まあ、付き合ってみなよ、オタクには意外と良い奴が多いんだよな。変人との付き合い方の中でも話したように、オタクとの付き合い方も基本は同じである。敬遠するのではなく、味方につける。お友達になってしまうのが得策だ。お友達になってどうするのかというと、自分の知識のひとつとして活用するに限る。その最も効果的な活用の仕方は、「オタクは辞書として使え!」ということである。様々な分野のオタクといかに多く友達であるかが人生では重要だ。自分の引き出しとしてこれほど頼りになる奴はいないからだ。気になることがあれば、すぐに電話など連絡できるオタク友をどれだけ持っているかで、君の懐の深さが決まる。人間の幅と言ってもいいだろう。自分で努力して知識をつけるとなると、大変だ。そこはオタクを使ってしのげばよい。サッカーについて知りたかったら、サッカーオタに訊く。芸能について知りたかったら、芸能オタに訊く。それが一番だろう。
それじゃあ、オタクをただ利用しているのと同じじゃないかと、反論する人もいるだろう。それは違う。アニキは哲学の根底には、「みんなハッピーな絵を描け」がある。この理念はこの場合でも曲げてない。自分もハッピー、オタクもハッピーだ。自分のハッピーはわかった。オタクを辞書として利用すればよい。では、オタク何がハッピーなのか?折角一生懸命に蓄えた知識を、ただで利用されてしまうことのどこがハッピーなのか?実は、オタクは自分知識が人の役に立つだけでハッピーなのだ。自分の深い知識を喜んでくれる相手さえいればよいのだ。いろんなウンチクを語れる相手に不足しているオタクは、その知識をだれかにありがたがってほしいのだ。オタクは、自分の知識が人の役に立つことが至上の喜びだ。つまり、オタクは常日頃から自問自答している。「こんなに深い知識をつけたところで、世の中の役に立たないんじゃないか」と、常に不安にサラされている。だから、自分の知識を隠してしまう。その知識が必要にない人には、全く意味をなさないからで、うっとおしがられることで心が傷ついてしまう。ナイーブな心の持ち主が多い。そんな純粋な心を持つオタクとは、その知識を必要としている人間と、フィフティーフィフティーの関係になれる。ここでハッピーな絵が描けることになる。
オタクと友達になり、自分の辞書として使うことは理にかなった行為なのだ。