喜ばれるはずだと勝手に決めて、本人の意思は考慮しない行為が「お節介」だ。さらに、「喜ばれるはず」という意図も持たず、己の意志のみで「そうしなければならない」という使命感が前に出すぎてしまう。これも、「お節介」だ。結果的に喜ばれているとは限らないのだが、親切心の元に行われる行為ゆえに、憎めないというのがお節介だ。
「お節介はやめて!」という批判に対しての大義は、「それならもっとちゃんとしろ!」という論理なのだ。「傍から見ていてなっちゃいない」からお節介を焼くのだという、一方的な論法には敵はいない。「結果的には、あんたの為だ」が殺し文句となる。お節介を否定する言葉は常に跳ね返される。「お節介=プラス」「お節介否定=マイナス」という公式が、自然と成り立ってしまうからだ。そこにお節介の恐ろしさがあるのだ。じゃあ、お節介に対抗するにはどうしたらいいのか?アニキは言う、対抗するなと。別に対抗する必要はない。「お節介には乗れ!」が基本スタンスだ。人の親切をムダにしてはいけないというのが、アニキ哲学だからだ。だから、「十分にいじられろ!」ということで丸く収まる。お節介焼きにいじられることは光栄だと思えばよい。それでよし。
話をサラリーマンに戻そう。「信者からしか儲けさせてもらえない」というのが、関西商人の生き方だ。アニキは商社マン時代、関西を拠点として働いていたから、関西人の商売をよく見ていた。別に営業マンだけに必要なわけではない。すべての仕事に信者が必要だ。ただ営業マンを例に取っているだけで、他の部門には自分で応用してくれ。
そう、信者を作ることが営業の基本だと言った。じゃあ、信者がどういう成果をもたらすかということ話そう。年配のあまりパッとしない営業マンを例にする。年配の営業マンは実務はやらないが、なぜか注文をとってくるという光景を見たことがないか?それは、長年の営業経験のなかで信者を増やしてきた結果なのだ。若い連中は、老練の営業マンを指さして、「昼間なんにもしていない」「パソコンもできない」と揶揄するが、老練の営業マンは「営業マンとは、すべて結果であろう」と割り切っているから、気にも留めない。老練の営業マンの営業活動は「遊びに行く」が基本だ。昼間はお客の事務所に遊びに行き、夜はお客と飲みに行く。まるで仕事の雰囲気はゼロだ。
がしかし、なかなか侮れないのだ。老練の営業マンのアポイントの取り方をよく見ろ!「今から遊びに行ってもいい?」って訊いている。忙しいお客を訪問するのに、「遊びに行っていいか?」なんて、考えられないだろ。これは究極のアポイントだ。真似しようにも、若い連中じゃ真似できないだろう。このアポイントの取り方がどれくらいすごいことなのかをわかる営業マンは、なかなか見どころがあると言える。アポイント一つ取るのに結構苦労するのが営業マンだ。それなのに、「遊びに行ってもいい?」と訊けるか!これは、取引先相手を信者にまで高めないとできない芸当だ。それをさらりとやってのける老練の営業マンは、やはり信者の重要性をよく理解してやってきた結果だ。
とりあえず、「やるな、ジジイ」とでも言っておけ。