人間、慣れてくると段々と地が出てくる。最初はお互いに気を遣い合うのだが、相手のレベルがわかってくると、不遜な態度を取るようになる。これは当たり前で、いつまでもよそよそしい他人行儀な関係を保つことの方が難しい。打ち解け合うというのはよいのだが、世の中にはいろんな人間がいる。それぞれが思っていることも違う。打ち解け合ってくると、段々と相手の本性が見えてくるものだ。最初はウマが合っても、相手を知るうちに段々と嫌いになるなんて日常茶飯事だ。嫌いになるのは別にいいのだが、その気分の悪さを、嫌いになった相手にぶつけるというのが一般的だろう。「物事や人を嫌いになること」それ自体は普通のことで悪いことではない。悪いのは、「嫌いだという事実から自分の気分が悪くなり、その相手を攻撃してしまうこと」だ。片方が相手を嫌っていると、以心伝心の法則により、相手も自分を嫌いになるのは明かだ。
じゃあ、どうすればよいか?普通の哲学者なら、いろんな精神論を持ち出してくるのだろうが、アニキ哲学においては、嫌いな者同士は好きにならないという前提でいく。どうせサラリーマンはお互いの反りが合わなければ、3年ぐらいで離れる。人間磁石の法則だな。だから、アニキは、嫌いなら「やり合えよ」でいく。とりあえず、くすぶって何年も嫌な想いをするなら、初めにやり合った方がいい。もしかすると、雨降って地固まるということもありえる。サラリーマンなら、思いっきりやった方がいい。すっきりするし、野放ししておくと、冷たい戦争は激化する。激化すると迷惑なのは、周りだ。周囲は冷たい戦争を起こした二人に気を遣い、毎日がうんざりだ。いがみ合うどっちかで、仕事のできる頭の切れる奴はその状況を察して、短期戦に持ち込まなければならない。だから、社内で自分がその当事者となった場合、「やり合え」しかないのだ。
アニキ哲学同調派の読者は、「仕事道」という考え方が身についているはずだから、くだらない人間関係の火種にはならないと思う。逆に仕掛けられるパターンの人達だろう。なぜかと言うと、自ずと笑顔や挨拶などを駆使し、助け合いの精神で気持ちいい職場雰囲気を目指すからだ。ところが、天の邪鬼な奴はどこにでもいるもの。そんな笑顔の奴は偽善者であり本性を暴いてやるとか、甘ったるい上司なんかにはついていけないとか、くだらない理由で、博愛者を陥れようとするのだ。
こんな時は、とにかくひるんではダメだ。これはどういうことかと言うと、反発する分子を押さえつけるのは、交渉と同じだ。ここでの交渉とは、一般の交渉の意味とは違う。ここでの意味は、交渉する時に起こる人間の内面の状態を指す。つまり、交渉とは人間のエネルギーのぶつけ合いだ。そして、エネルギーの大きい方が勝つという意味で引き合いに出した。これが今回のテーマ、「ひるむな」につながる。今回のテーマはなんか難しいな。