「優しさ」と「甘さ」(3/9) ~耳が痛い~ 
「優しさ」と「甘さ」(3/9) ~耳が痛い~ 

「優しさ」と「甘さ」(3/9) ~耳が痛い~ 

 それはなぜか?今の薄っぺらな人間づきあいに原因がある。昔は、友達や親しい間柄であれば、遠慮なく他人の心の中にズケズケと入り込んで、その根元をいじり倒した。無関心ではいられなかったのだ。本人のためのアドバイスが正しいかどうかは問題じゃない。どうせ大した知識も持ち合わせてないから、立派なことも言えなければ、データに裏付けされた知識もない。説得するのは不可能に近いのだが、それが間違っていると思ったら、居ても立ってもいられない。とにかく相手に対して無関心ではいられないのだ。言われる側としては、自分の心の中まで土足で入り込んでくる連中は邪魔でしょうがないのだが、むげにできない何かがあるのだ。自分を攻撃してくる言葉や態度は非常にむかつくのだが、相手のために真剣にとりつくその姿に、とりあえず話を聞かざるを得ない。それは、相手のことを真剣に思うその心が、優しさから出ていることが痛いほどわかってしまうからだ。その気持ちが熱すぎて振り払えないのだ。

 一方、甘さが優しさだと勘違いしている連中は、相手を立ててしまう。例えば、仲良しに自分の選択肢などを相談された場合、「自分の道は自分で決めるもの」「君が決めた道を俺は応援するよ」とかいいながら、本人の主体性を尊重したりしている。一見、優しそうに見えるのだが、全然優しくない。本当にそう思ってる人間ならそんな態度は取らない。これは、「俺は厄介ごとはゴメンだよ、自分で決めて」という無関心な姿勢だ。相手を尊重することが親切だと勘違いしているいい例だ。これは甘さであり、全然優しくないのだ。

 優しさと甘さは本当に紙一重だ。相手のことを思っているのかもしれないが、どこまで思っているのかという問題だ。うわべだけ、その場しのぎの優しさは甘さであり、そのことで本人の未来に悪影響を及ぼすことにもなりかねない。本当の優しさならば、自分の直感で「それがよくない」と思えば、とことん厳しく相手を追求するものだ。説得する必要なんかはない。すべては自分の考えを柱として、厳しいことをバンバン言ってやればいいのだ。で、言われる側はそれを受け止めなければダメだ。厳しさはその人の優しさや思いやりから出ていると理解して、受け止める心が重要だ。受け止める心なくしては、厳しい言葉はただの攻撃にすぎず痛いだけだ。

 だから、優しさとは双方に努力が要る。日頃から、「俺の悪いところを何でも言ってくれ」と言いながら、反対に「おまえの悪いところも遠慮なく言うぞ」という関係を築く。理想と言ってしまえばそれまでだが、まあ近づける努力は要るだろう。アニキが言いたいことは、こんなにきれいな関係はなかなか築けないだろうが、常日頃から耳の痛い言葉を受け入れる度量を持っておけということだ。耳の痛い言葉こそが、飾らない真の優しさの言葉だからだ。 耳の痛いことを言う人を遠ざけてはいないか!おまえを批判しているのか、優しさからの言葉かは、おまえ自身が判断すればいい。そんなのは、そいつとの今までの付き合いを考えればわかるだろう。批判する奴は遠ざけろ。百害あって一利もない。耳の痛いことを言う奴を、天ノ言葉だと思って大事にすべきだ。