見よう見まねで組織をきちんと整備して、階層的な組織を作り、中間の管理者を置くのはいいことだ。しかし、10人の規模の時のように、社長自らが現場の不満や愚痴を聞いてしまうのはよくない。そうなると、中間管理者の立場がなくなるからだ。すべて自分で把握しなければ気が済まないのはわかるのだが、段階組織においては社長が直接口を出してはいけない。末端の従業員は自分の上司である管理者の指示より、当然社長の指示を優先するからだ。中間管理者と社長の意見がぴったり合えばいいのだが、お互い人間だからそんなことはまずありえない。細かい部分では意見が食い違う。すると、中間管理者の意見はないがしろにされるから、当人のモチベーションは極端に下がる。また管理者は、自分がやろうとしていることを強引に推し進めることができなくなる。末端の従業員がそれに反対すれば、社長に直接文句を言うからだ。そうなると管理者は、いちいち社長にお伺いを立てなければならなくなる。
だから、会社が大きくなり組織ができたのなら、それぞれ管理者にすべて任せなければならない。社長は、末端従業員からの愚痴を聞くのはいいが、聞くだけにすべきで、直接答えを出してはいけない。すべて管理者と相談し、管理者より答えや指示を出すことをルール化すべきなのだ。なぜなら、社長は自分が任命した管理者を信頼してないということになるからだ。そんな簡単なことにも気づかないなら、その社長は真のバカ殿である。
上記はほんの一例であるが、行動哲学が欠如したオーナー社長はそういう中途半端なことをよくやってしまい、組織が機能しなくなる。行動哲学や理念がないと、「すべては人の心が決める」ということの意味がわからない。人の心とはどういうものなのかがわからないのだ。自分が任命した管理者の心だけではない。従業員それぞれの「立場の心」を理解する必要があるのに、それが何だかわからないのだ。オーナー企業に限らず、組織のトップの重要な業務は、この「立場の心」の理解である。これができないのであれば、実は社長失格なのである。
だから、有能な社長であるかどうかは、どれだけ早く「立場の心」に気づけたかだ。会社の信念・理念がないと、「会社の心」が末端まで伝わらないし、社長が行動哲学を持って日頃行動してないと、「立場の心」に気がつかない。だから、目に見えない理念や行動哲学がいかに需要であるかということだ。理念や哲学という軸の上を歩いていないと、「立場の心」を見落としてしまう。立場の心に気づけば、従業員の幸せが最も大事であるということや、組織のあるべき姿とは何かということに気づく。そうなった時、社長はアオムシから蝶への「完全変態」を遂げ、名経営者への道が開けることになる。
これが、社長業の悟りである。