「かっこよさ」の定義(1/8) ~女にもてたいよな~
「かっこよさ」の定義(1/8) ~女にもてたいよな~

「かっこよさ」の定義(1/8) ~女にもてたいよな~

 みんな、女にもてたいよな。美人と付き合いたいよな。遠慮することはない、創造主は男をそういう風に作ったのだから、その感情に従えばよい。「この女好きの性格を何とかしたい」とか、くだらないことを考えるな。それより、女にもてるにはどうしたらよいかを前向きに考えて、かっこいい人を目指せ。それが人の道だ。
 なら、かっこいい人とはどんな人だろうか。見た目はもちろんだが、中身がそれ以上に大切だということは、大人だったら皆知っている。そんなかっこよさの基準は人により様々なはず。でもそこに、共通する何かは必ずある。かっこよさという漠然とした概念を分解することにより、自分が目指すものが見えてくる。今日はその「かっこよさ」を定義してみようと思う。
 じゃ、どんな人がかっこいいのだろうか。小さい子どもの頃、父親がかっこよく見えたりするが、中学・高校と成長するにつれ、親父は実はかっこよくないということに気づく。しかし、自分が結婚して子どもができて親父がヨボヨボになった時、再び親父が実はかっこよかったということに再度気づくものである。特に、オヤジ自身に変化があったわけではない。見る方に変化があってそう思う。人生に共通するのだが、見方が変わると評価が変わるのだ。大げさではあるが、これが人生の悟りのひとつである。
 人間、メシだけ食ってたら大きくなる。勝手に大きくなって、見た目だけは大人になる。外見は立派な大人なのだが、中身は空っぽだ。中身がからっぽの大人が世の中では通用しない。それがわかってるから親はうるさいことを言うのだ。社会とは「嵐の大海原」とアニキは何度も主張してきた。親はこの海を知っているから、子どもには旅の支度をさせたがり、本人にももっと自分で考えて行動してほしいと願う。この詳しい話は後日ブログ「社会という旅の準備」で紹介しよう。ここで理解してほしいのは、親の話でない。
 ここで大事なのは、体だけ大人で中身が空っぽなんてかっこいいかね?ということだ。外見は必要ないとは言わない。動物の世界ではとても重要だ。人は第一印象で決まるから、「見た目が重要」と提唱している人もたくさんいる。だから間違いなく外見は重要だと思う。言いたいのは、見た目のかっこよさだけじゃダメということだ。それに伴う中身がとてつもなく重要で、外見さだけかっこいいイケメンなんて「張りぼてヤロー」で、クソだ。中身を磨かずに外見だけ磨く奴は間違ってる。そんな奴についてくる女も、そいつがろくでなしだということがわかってない。要するに、安いエサではタイは釣れないということだ。世の中には「平等の法則」というのがある。言い換えれば、フィフティーフィフティーということなのだが、ケンカ両成敗もよく言われる理論だが、アニキ哲学において、この場合の平等の法則とは、選ぶ男も選ばれる女も似たもの同士ということだ。
 自然と平等なものが引き合うというのが、アニキのいう「平等の法則」だ。これは、世の中の真理のひとつだ。何か迷った時の判断基準にするなら、人生はまがい物を掴まないでうまくいく。この話は後日ブログで話そう。
 ここでの理解は「外見だけじゃなく、中身を伴えよ!ということだ。